1999年(平成11年)は 様々なお役をさせて頂いた年でした。

 

1月は21世紀歌舞伎組全国巡業で 『操三番叟』『鳴神』白雲坊
『女伊達』でした。

 

2月前半はお稽古で21~26日は猿翁旦那の国立劇場での春秋会
『瞽長屋梅加賀鳶』

 

私のお役は、茶屋娘おやま 加賀鳶の妻恋音吉 質店の手代太助 講中伊兵衛
赤門の手先、はじめから最後まで出ずっぱりでした(笑)


そして同じ月27.28日の2日間は演目替わりで『大江山酒呑童子』の
碓井靭負丞貞光と『廓文章』では若い者延次、豪華でしたね(笑)

 

3月はお稽古で 4・5月新橋演舞場 6月は中日劇場で『新・三国志』の初演、

黄巾賊の首領の張角と、蜀の国の侍大将の馬良役を勤めました。


その間の5月28日に藤間流紫派舞踊会があり 私は藤間芙紗さんの女伊達で
男伊達を踊らせて頂きました。


それがこの時、

 

 

7月は歌舞伎座で昼の部『南総里見八犬伝』 犬川荘介
『奴道成寺』所化観念坊 『一本刀土俵入』 子分籠彦
夜の部 『伊達の十役』 腰元梢 他 絹川与右衛門と仁木弾正の吹替え 

 

そしてこの月

 ≪ノストラダムスの大予言 1999年7月に 恐怖の大王が来るだろう・・・≫

の筈でしたが、恐怖の忙しさだけで 何も起こりませんでした(笑)

 

 

8月は7日~11日まで国立小劇場におきましての歌舞伎会・稚魚の会
合同公演に初参加。

 

珍しいお役で『伽羅先代萩』の竹の間の 大場道益の妻 小槙
ダブルキャストで5日間、10回公演のうち5回勤めさせて頂きました。

この時、はじめて歌舞伎会におもだかや一門として参加させて頂きました。

 

はじめは 『竹の間』の沖の井の役でしたが、7月歌舞伎座公演終了後
京都造形大学で猿翁旦那の歌舞伎集中授業があったために
ギリギリまでお稽古に参加できず 沖の井のような重要なお役は
お稽古に参加できないと皆さんに迷惑をかけますから
小槙に変更して頂きました。

それがこれです。

 

 

 

 

 

 

同じ月 歌舞伎会終了後の15日は『第6回翔の会』で、 先日も掲載しました私の藤娘。

 

翌週 21・22日は右近(現右團次)の会で 『一谷嫩軍記』での堤の軍次

 

公演終了後 再びお稽古で 9・10月は松竹座で『新・三国志』

1年のうちの5ヶ月が『新・三国志』でした。

 

11月 全国巡業での『伽羅先代萩』の通しで大場道益と山中鹿之助。

 

そして12月が歌舞伎座で『吉例寿曽我(石段)』での舞鶴屋亭主と

先日も書きました『奥州安達原 三段目』最後の袖萩。

夜の部は勘三郎さんの『籠釣瓶花街酔醒』での若い者与助。


まあ、休みなしでひと月にいくつものお芝居をかけもちさせて頂いて
さらにひと月 何役も勤めさせて頂きました(笑)

 

この前後 5年ずつくらいの10年ほどは毎年 こんな塩梅(笑)


こんなに働かなくていいですから、この3分の1くらい 
今に回してくれれば・・・(笑)


それにしてもこの年は馬車馬の様でしたね(笑)

 

忙しいと「休ませてくれ~」 と 叫び お休みが長くなると 

忙しかった時を懐かしく思います。 人間とは天邪鬼なものです(笑)