私が色んなお芝居で 猿翁旦那の早変わりなどの吹替えを
仰せつかっていた事は すでに何回か書かせて頂きました。


その吹替えのお役はもともと、猿翁旦那の本役ですから
筋書きや歌舞伎データベース等に私の役名、私の名前が
掲載される事はありません 

 

記録として、同じ月の違う演目でのお役で私の名前がない限り
私が出演していたかどうか? 

お客様には私を探すすべがないのです。
これは振り返ってみた時 ちょっと淋しいですね。


自分の記録には書いてあるのですが・・・(笑)


私が初めて猿翁旦那の吹替えを勤めさせて頂いたのは
1977年4月明治座での『神霊宇和島実記 宇和島騒動』で
蚊帳の中で殺される山辺(家)清兵衛という宇和島藩の忠臣家老。


余談ですが愛媛県宇和島には立派な山辺清兵衛(和霊)神社があり、
忠臣のこの方が殺されて以来 この藩では百姓に至るまで 蚊帳を吊る季節になると 

この話を云い伝え ある期間は蚊帳を使わなかったと云われております。


私の清兵衛、顔は見せませんが 蚊帳の中で4人の刺客に惨殺され花道迄
遺体を運ばれて行くという この清兵衛の吹替えが
私の猿翁旦那の初吹替えでした(笑)

 

もちろん舞台上には「旦那さま~ どうなされました~ 」と 清兵衛で斬られたはずの

猿翁旦那が下僕の胴助となって 駆け込んで来ての登場となります(拍手・・・ 笑)

 

この演目、その後の中座や中日劇場で再演された時には
『君臣船浪宇和島(きみはふねなみのうわじま)』と狂言名題が変更されました。
 

 
その後の私の吹替えのお役で圧倒的に多いのはもちろん

『義経千本桜 四の切』での 忠信の吹替えです。

 

自己申告ですがおそらく600回以上は『四の切』の
猿翁旦那の忠信の吹替えを勤めさせて頂きました。


この『四の切』では 荒法師たちとの立ち回りの中で、忠信(猿翁旦那)が
宙乗り用の連尺(ハーネス)という、装置をつける時間だけ 私が登場すると云うものです。

 

面白い事に、この4月の次の5月南座の『四の切』にて
初めて忠信の吹替えを勤めさせて頂きました。 これもご縁ですね(笑)


この忠信以外で 次に多い吹替えのお役は『加賀見山再岩藤』の
最後の奥庭の場面の岩藤の吹替えでしょうか?


大詰め、二代目の中老尾上となったお初に恨みを抱き、
念力にてたぶらかそうとする岩藤の霊、立ち回りは猿翁旦那が勤められ 
途中で念力となってからの引き戻しは 私が破れ傘の裏から登場致します。 
が もちろん裏向きですので顔は見えません

 

ここで最後のお役、殿様の多賀大領と早替わりの為に私と入れ替わり
最後にお殿様に家宝の観世音を突きつけられ その威徳によって私の岩藤は
骸骨となって消えていくという場面。

 

威徳によって正面を向いた時は私は骸骨のお面を被っておりますので
これも顔は見えません(笑)


この岩藤の吹替えを最後に勤めさせて頂いたのが
2002年2月松竹座での『加賀見山再岩藤』

この時が猿翁旦那のこの演目の最後の上演となり 私の岩藤も終わりました。


今日の写真はその時の岩藤です。

 

 

 

 

手に持っているのは最後に正面を向いた時の骸骨のお面、


岩藤の吹き替えはこれで終わりましたが、この後 海老蔵さんの
『四の切』の忠信の吹替えや、猿之助さんの『お染の七役』での
久松の吹替え等 その後も何回か吹替えがつづきましたのは 
光栄な事でした(笑)