今日の東京はくもり空ながらも やっと暖かさが戻って参りました。

 

ここ1週間、ほとんど日照時間がなく とても寒い週となりましたが、
明日からは気温も戻り 太陽も顔を出すらしいという天気予報です。

 

先日の寒い日に朝顔の種を植えてしまいましたので、まだ変化がありません
温かくなったら 少しくらいは芽が出ますでしょうか?

家人からは「植えたばかりで、まだ気が早過ぎるわ。」と 笑われております(笑)


今日は午前中に3日おきくらいの いつもの散歩に出ましたが
気温の高さもあって一万歩散歩は控え 五千歩ほどに留めました(笑)

 

 

ちょうど帰りにお花屋さんを覗いたら 朝顔の苗が売られておりました。
どうしようか悩んだのですが ひとつだけ買ってしまいました(笑)

 

また、夕方には姪っ子からの手紙が届き、その中に朝顔の種が入ってました。

私が先日植えたのは、普通の朝顔からとったものですが、こちらはおそらく

発芽処理などされているでしょうから、もしかしたら 私の植えたのよりも

早く芽が出るかも知れませんね。

 

早速、同じ鉢に植えてみました。

種からはまだまだ時間がかかるでしょうからね。

 

そして姪っ子とLINEで朝顔日記のやり取りを始めました(笑)

 

 

 

朝顔日記と云えば昨日、衛星劇場で『生写朝顔話』が放映されたそうです。
福助さんの秋月深雪で私も覚えていたのですが、うっかり録画予約を忘れ 
見逃してしまいました。


以前にも書かせて頂きましたが 朝顔の咲く頃のとてもせつないお話で、

宇治川の蛍狩りで知り合った愛しあう二人が 運命に弄ばれ すれ違いの連続で、

深雪は家を飛び出し 泣きはらして盲となります。

 

瞽女(ごぜ)となって朝顔と名を変えた深雪は島田のある宿で 
かっての許嫁であった宮城阿曽次郎の前で琴を弾く事になりますが
阿曽次郎は仕官して 駒澤次郎左衛門と名を変えており
御用旅であるが故 横にいる同僚の手前、かっての名を名乗ることもできません

 

琴を聞き終えた後 結局ふたりはまた別れ、阿曽次郎は
宿の主に秘宝の目薬と扇を朝顔(深雪)に渡してくれと頼むのでした。

 

その扇にはかって宇治川で二人が交わした歌を思わせる 一輪の朝顔と
露のひぬ間が描かれており 裏には駒澤次郎左衛門事、宮城阿曽次郎・・・と
 
その事を宿の主から聞かされ 深雪は死にもの狂いで後を追うのですが・・・。


とても簡単なあらすじですが、お芝居の内容はもう少し入り組んでおります(笑)

 


私、このお芝居 本公演では出演した事はありません

ただ、1992年(平成4年)9月1・2日 2日間昼夜2回の4回だけ
吉祥寺の前進座劇場で『第1回市川笑也の回』で 敵役の岩代多喜太のお役で
出演させて頂きました。

 

もちろん笑也さんの秋月深雪(朝顔)、

中村錦之助さん(当時信二郎、隼人さんのお父上)の宮城阿曽次郎、後 駒澤次郎左衛門 

 

 

 

当時、おもだかや一門で自主公演を一番最初に行われたのは笑也さんでした。

 

みんな なかなか踏み切れなかったのですが、笑也さんが自主公演を
開催された事により そのあと右團次さんや笑三郎さん 猿四郎さん等々が
続々とつづきました。

 

ちょうど『翔の会』の始まりもその頃で、猿翁旦那の春秋会もあり 
おもだかや一門の20世紀終わりの最大イベントでしたね(笑)

 

普段できない演目などやお役の そのきっかけを与えてくれたのは
笑也さんだったかも知れません

 

 

まさに種をまき、切磋琢磨して成長し、花を咲かせて・・・今の私たちがあります。

 


アップしてから気づきました。

この隼人さんのお父上と共演した『生写朝顔話』

隼人さんの生まれる前のお話でした。

次の年に生まれた隼人さん。


まさに今花盛りですね(笑)