ステイホームが続く中、再放送ドラマの視聴率が、かなりいいいそうですね(笑)

みなさん 昼間からテレビでも見るしか仕方ないからでしょうね。

 

私も、『下町ロケット』を見た後に続いて『ノーサイドゲーム』に突入。
それ以外には、今日から始まりました『凪のお暇』
どれも、リアルタイムで見ていた番組ですが、ついつい名作は
見入ってしまいます。


それとは別に、実はずっと見たいと思っていたドラマがありました。
ここの処、再編集の再放送もあった様なのですが、
初回からたまたま連ドラ予約で録っておりましたのが
見ないまま、全話ハードの方に 初演?バージョンが残っておりました。

なんのドラマだと思います?(笑)

 

今、夕飯の時などにワクワクしながら見ておりますが、
最終話までの残り話数が少なくなってしまい、見るのが勿体ない、
でも見たい、見たら終わってしまう・・・と(笑)

そのドラマこそ、『恋は続くよどこまでも』です。
意外ですか?私も意外です(笑)

 

このドラマの放送前に、某フレンドパークでいくつかの新ドラマの
主役たちが戦っておりました。


その折の佐藤健さんの番組に対する姿勢とかが とても心地よく、
興味は惹かれたのですが、題名で敬遠してしまってました(笑)

でも、おそらく家人が連ドラ予約で録っておりましたので、
うっかりと見始めたら はまったと(笑)


もう少しなのですが・・・見終わるのが勿体ないです。

 

放送当時も、再放送時もワクワクしながら見ているドラマも、
ひとつは終わってしまいました。

関東地方では3週間にわたり土日と云えば『JINー仁ー』でした。
関西地方ではまさに今 放送されているそうです。


そのお話しの中で江戸末期にコレラ(コロリ)が流行り 
主人公の南方 仁が 治療に奔走する姿に 現在の医療関係の方にダブり
胸が熱くなりました。


このコレラ 古くから地方では存在したそうですが、世界的な大流行は
1800年代 インド地方から起こりました。

 

ヨーロッパからアジアまで及んで 1858年(安政5年)5月
アメリカのペリー率いる軍艦によって日本の長崎へ運ばれ なんと2ヶ月あまりで
江戸まで到達したと記録がございます。

 

8月から9月にかけて3~4万人(10万~20万の説も・・・)の方が
亡くなったそうです。

当時の江戸の人口はおよそ100万人ですから 約30人に1人の方が
亡くなっていた計算でしょうか?

 

安政年間には大地震も起こっていたそうですし、黒船の来訪など江戸末期の人たちは
本当に世界の終わりのような感覚だったのではないでしょうか?

 

そんな中でも医者の方々は奔走され、大変だったでしょうね。
今の医療関係の方たちにも 本当にご苦労をおかけしております。

『JINー仁ー』の物語の中でも緒方洪庵(武田鉄矢さん)が活躍しておりますが、
史実でもかなり一定の効果を見せたそうです。


緒方洪庵は医術の他 適塾(洪庵塾)を開き ここから江戸時代末期から明治にかけて
福沢諭吉や大村益次郎 橋本佐内 他 数多くの偉人が出ておりますね。

 

異色なのは漫画家 手塚治虫さんの曾祖父、手塚良仙さんも居られます(笑)

大阪北浜に今でもその適塾が保存されております。
私も何回か訪れた事がございます。

 

当時は今のような医療設備もなく 衛生面でもかなり厳しかったのでしょうね。
原因もわからず対処もわからず。

そこに、現代から仁先生が来ていた事で、対処法がわかり、助かった人も
多かったと云うのがドラマの中の話ですが、現実ではどれほど怖く、
大変な状況だったかと思います。


現在の新型コロナも目に見える訳ではなく、さらに無症状の方も
多く居られると云う事ですから、恐怖と云う事では
江戸時代と変わらないのかも知れません。

 

今の世にも、未来から特効薬やワクチンを知った仁先生がタイムスリップ
してきてくれたら・・・
ドラマを見ながら何度も思いました。

こんなに大流行したコレラさえ、対処法がわかり、衛生状態もよくなり、
今では日本では それほど恐れるに足らない病気となりました。


今のコロナがそうなりますように、とりあえずあと2週間
頑張るしかないですね。


今も昔も、医療と云うものの偉大さ、そしてそれに携わっておられ、
日夜戦っておられる方、本当にありがたいと思います。

その方たちの為にも、まだまだ気を引き締めて 不要不急の事は、
落ち着いた後の楽しみにして、過ごしたいと思います。