先日も書きましたが、現在の自宅での自粛生活。

どうしても、一日が朝昼晩の食事が中心の生活になってしまいます。

 

我が家の「メニュー表」も、大きなA4の和紙にランクアップしました(笑)

それをクリアケースに入れ、吊り下げてあります。

本格的にレストラン仕様になって参りました(笑)

 

 

今日は そんな食べ物に関する 昔のお話。

 

1977年(昭和52年)の1月明治座、6月大阪新歌舞伎座、

9月名古屋御園座におきまして、山本富士子特別公演がございました。


この三劇場、お芝居とスポンサーを共有しておりまして、
独自の劇場なのですが、演目は同じものを三ヶ所に於いて上演しておりました。

 


1月に山本富士子さんの相手役をされた、林与一さんは6月、9月には
スケジュールの都合上 同行されず 代わりに中村富十郎さんが相手役をされました。

 

『浪花かんざし』と云う演目で、大阪北浜の相場師と芸者のお話。

 

二つ目の演目はショー的な舞踊で『錦舞扇』、
この時、富十郎さん わりと着替えが多かったために私もお手伝いとして
連れて行って下さり 一緒に出演させて頂いた事がございました。

 


私のお役は、富士子さんの芸者のご贔屓である本町の大店の手代。

 

そこが大火事となり 焼け出されて クタクタになった所へ、
富士子さん以下の芸者と女優さんたちが演じる女子衆たち数人が
炊き出しを持って駆け付けると云う場面。


私は、その持ってきたおむすびを「食いものや~!」と云って
一番に飛び出して 思い切り頬ばると云う 役でした。
つまり、舞台で本物のおむすびを食べていたのです。

 

これらの食べ物を「消えもの」または、「きれ物」と云い 
舞台で本物の食材を使用すると云うもの。

 

歌舞伎でもよくありますね。

 

『雪夕暮入谷畔道(ゆきのゆうべいりやのあざみち)』では直侍が、
そば屋で本物のそばを食します。

 

また、食べる場面はありませんが『野崎村』では
お光がなますを作るために 本物の大根を刻みますね。

同じく『お染の七役』では丁稚久太が強飯(こわめし)を食べる場面があります。

 

それと同じように、私も舞台で おむすびを食べていたのです。

 


これ、劇場の食堂や食べ物屋さんが協力して下さって 

作って下さるのですが、舞台上で食べているのが私だとわかると、

はじめはただ お塩をまぶしていただけのおむすびが ご好意で
中に昆布が入って居たり 梅干しが入って居たり と
ありがたかったのです。

 

でも一日昼夜2回公演 普通に朝ご飯 昼食を食べていると かなり苦しいものです。 

 

 

無事に6月の公演を終え(太ったかもしれませんが・・・)9月の御園座公演に。

ここで もう一人お役の交代があり、相場師のお役が島田正吾さんから 
歌舞伎の大御所のある方に代わりました。 

 

どなたかは 申せません・・・

ただ、その新しい方、いたずら好きでとっても有名な方ですから、こりゃ大変。

ただで済むはずがありません(笑)

 

おむすびが段々大きくなっていき、ついに倍の大きさになった時には驚きましたが、

実はそのくらいは当たり前、まだまだ序の口でした。


一度は、あまりにも大きなおむすびが用意されており、とっさに持ちましたが、

持ちきれずに、舞台上に落としてしまった事がございました。

焼け出されて、働いて、クタクタになって空腹のときに 食べる場面。

トラブルで、落ちてしまったからと云って、それで終わりではありません

その時の舞台上の手代は空腹なのです。
まさにとっさに それらを拾って何とか舞台上で一瞬で食べておりました。

 

なんて事!

と思われる方もおられるでしょうか?

 

でも、これで終わりではなかったのです。

 

女優さんたちが、その大御所の方から指示をされて おむすびにからしを塗ったり、

唐辛子を中に入れたりと どんどんエスカレートしてきたのです(笑)


からいのは私 まだ何とか素知らぬふりで食べられるのですが、

ある日、おむすびにたっぷり 砂糖を塗られました。

おむすび、甘いのはダメです(笑)

 

これにはさすがに舞台上で食べられず、うっっと 詰まってしまいました。

 

もちろん 山本富士子さんはこのいたずらをご存じありません

「大丈夫?」と 本当に私を心配して下さっておりました。

 

さすがにもう無理でした。

その後、女優さんたちにコーヒーとケーキセットを配り
「もうご勘弁ください!」と お願いした事がありました(笑)


女優さんたちはもちろん 悪気はなく その方から頼まれて 
(楽しんでやっていた事なのでしょうが・・・(笑))

お陰様で女優さんたちも悪かったと思ったのか その後 いたずらはなくなりました。

 

多分、何をやっても淡々と食べていたので、何をしたら驚くのかと。

どんどんエスカレートしたのでしょうね。

甘いものは逆に大丈夫な人が多いと思いますので、軽い気持ちだったと思いますが

甘いのが・・・私には鬼門でした。

 

トラウマでしょうか?

小さい頃に好んでやっていた 焼いたモチに砂糖というのも、今は無理です(笑)

 

若い頃の楽しい思い出でしたが、舞台上でものを食べると云う事が 
如何につらいか、わかったひと月でもありました。

 

 

毎日、自粛で外出もままならず、大変な日が続いておりますが、

ちゃんと食べるものが食べられるし、生活自体には 何の問題もありません

 

美味しいものが、毎日三度三度食べられる事も 幸せだなあと思う毎日。

ふと、こんな昔話も 思い出してしまいました(笑)

 

大御所の方がどなたか。

書いちゃおうかなと思ったのですが、やはりやめておきます。

皆様のご想像にお任せいたします(笑)