新橋演舞場での新版『オグリ』もあと、4日で終わります。

 

前回のオグリの公演はと云いますと、1998年(平成10年)4、5月が新橋演舞場公演 

6月が中日劇場公演で3ヶ月連続『オグリ』を上演致しておりました。


この時の『オグリ』の公演は私にとりまして非常に意義深い公演でした。

 


と、云いますのは前の月の3月に名題試験があり、おもだかや一門から 

右近(右團次)さん 猿弥さん 笑也さん 笑三郎さん 亀治郎(猿之助)さん 

私 欣弥さんが受験して 七人全員が合格と云う発表を頂きました。

 

そしてこの3ヶ月の『オグリ』の公演の後の7月歌舞伎座の昼夜通し狂言『義経千本桜』で

七人全員、名題披露と云う記念の公演になったのです。

ですから前回のオグリは私の名題下(所謂 三階大部屋役者)として最後の公演になりました。

 

この時は嬉しかったですね(笑)

名題になるととにかく待遇が変わるのですから(笑)

 

 

でもお役としての扱い方は、猿翁旦那が早くから私たち名題下にも 

会社に有無を云わせずにお役をつけて下さっておりましたので、

差ほどの違いはありませんでした。

 

そこが猿翁旦那の凄いところです(笑)

 

 

この時に私がつとめておりました お役のひとつが 修理太夫の妻。

 

実際に 修理太夫の妻の写真があればいいのですが、当時のプログラムに

掲載されている写真しかありません。

 

もしお手元に お持ちの方がおられましたら、私の紹介されている部分の写真が

このお役になります。

 

 

修理太夫の妻と云う事は、もちろん照手姫の母と云う事になるのですが、

今回の新版『オグリ』ではこのお役は登場致しません

 

近いお役が門之助さんが勤めておられる乳母の鷹乃でしょうか?

 

私の時は照手を相模川に沈めろと決定した家族会議の場面だけですが、

鷹乃はもっと重要なお役となっておりますね。

お役の格が上がった分、役自体も変更されたのでしょうか?

 

確かに実の母では できないような形で、照手姫に寄りそう存在です。

母親役だった私は 照手姫の処罰を夫に向かって ただただ反対していた存在です。

 

ですが、髪型も、着ている衣裳の色合いも似通っております。

 

 

新版『オグリ』では、すでに亡くなっている設定となっておりまして、

照手姫が餓鬼病み様を曳くときに、供養したい人の中に挙げられております。

 

 

ちなみにこの時の横山修理太夫は段四郎さん

段四郎さんとの夫婦役だったのです。

 

また、この時のこれ以外のお役は

近江屋の女郎小手毬と なにわの商人(笑)でした。

 

今回も立ち役と女形?をしておりますが、ずいぶんと・・・老けたものです(笑)