横浜のホテルを後にしまして、向かいました先は、コメント欄でも教えて頂きました

神奈川県立歴史博物館。

その事はまた後日のブログとさせて頂きます。

本来の目的地はもう少し先の所にございます。

 


雨の強さの様子を見てでしたが、結局家人と相談して行こうと云う事になりました。
横浜より3つ先の駅で昼食を食べ、行きましたところは藤沢の遊行寺。

 

そう現在上演中の『オグリ』に所縁のお寺です。

 

で こんなものが・・・。

 



 

 

これは、途中の道路脇にありましたたくさんの浮世絵を描いたものの中で

小栗判官照手姫のものです。

 
 
 

実はこの遊行寺の前の道路は何回も往復しております(笑)

巡業公演の折、茅ヶ崎の会館までよくバイクで通いまして、
「あぁ、ここが遊行寺かぁ」と、場所は知っておりました。

しかし中に入ったのは今日が初めて。
 
藤沢に着きました頃には雨も上がり 時折お日様も顔を覗かせました。

ここへ来ましたらやはりここですね(笑) 
小栗判官と十勇士、照手のお墓にお参りを致しました。
 
 
 
中央が小栗判官公 左右に五人ずつ 十勇士。
(今回は六人になっておりますが元々はオグリの家臣の中での勇士は十人です。念のため)
 
ただ、後に書きますが この小栗判官公はお芝居での『オグリ』の父親
満重公です。 微妙です?(笑)
 
そして照手姫のお墓。
 
 
どう云う訳か?
 
荒馬の鬼鹿毛の墓もございました(笑)
 
 

案内書きに由来が書かれてございましたが、父の満重と十勇士は横山大膳に毒殺され、
小栗判官と云われる子の助重が、照手の機転で毒殺を免れ 救い出されて
熊野の湯で治癒したと書かれてございました。 
その後この地に於いて供養を行ったのが これだとか。
 
 
つまり『オグリ』のお芝居は、親子の人物を 一人の人物として描かれているのでしょうか?
小栗判官と云われる方は満重の子の 十五代助重公となっておりました。
 
そして先の小栗公と十勇士のお墓を建立したのは この子である助重公・・・と。
 
ですが、実際には墓を「小栗判官の墓」と書かれておりましたので、
見学の途中 少々?が飛んでしまいました(笑)
 
こう云う事だろうな と 必死に解説を読みながら 解釈しましたので
間違っていたらごめんなさい。
 
 
小栗一族がいて、横山一族との争いに敗れ、その後再び土地を奪い返した。
そう云った史実から、二人をモデルにして 派生して生まれてきたのが
「小栗判官」という 架空の人物になり、物語が作られて行ったのでしょうね。
 
帰宅後調べましたら、いろいろな伝承があるみたいです。
このあたりは「物語」ですので、ま、そんなものか と云った感じで
とりあえず「小栗判官ゆかりの地」ということで(笑)
 
 
歌舞伎の『小栗判官』も、スーパー歌舞伎の『オグリ』も このあたりが更に
膨らまされて物語が出来たのだと思います。
 
 
また、遊行上人と云うのは、お一人ではなく 歴代のご住職がすべて遊行上人で
現在も七十四代目として厳然と居られるのですね(笑) 勉強になりました。
 
 
 
 
『オグリ』のお芝居に所縁の遊行寺、一度は来たいと思っておりましたが、
1回公演と休日を利用してちょうどいいミニ旅でした(笑)
 
 
 
あ、遊行寺近くの観光案内所には しっかりと『オグリ』のチラシが(笑)
 
休みの日に 自ら進んで 所縁の地に行ったのは 事実なのですが、
一瞬「うぉ!!」と現実に 引き戻された気になりました(笑)
 
さ、また明日から二回公演です!