8月納涼歌舞伎 今日は2日目です。『東海道中膝栗毛』も、
だいぶテンポが出て参りまして 軽やかに舞台が進んで参ります。

 

ですが何を書きましても 写真を掲載しましても、
今はまだ ネタバレの領域になってしまいます。

 

お芝居に触れるのはもう少し後にさせて頂きますね(笑)

 

そこで、ちょっと違う目線から 東海道の事を書かせて貰います。

 

皆様も現在の東海道本線や、東海道新幹線はよくご利用になられると
思います。 鉄道も概ね東海道五十三次の街道を沿って
走っておりますが、唯一 途中で別れる処がございます。


ご存知の方も当然、たくさん居られるとは思いますが 東海道五十三次は
江戸から京都三条まで中の宿、五十三宿。

 

江戸から西 名古屋へ入る手前の熱田神宮の所(宮宿)から
桑名宿までは海上七里を行き、所謂 地面ではありません(笑)

 

つまり新幹線と違って今の名古屋市中心部には入らないのです。

 

京が目的として名古屋を通るには、大きく迂回しなくてはならず、
また名古屋へ入ると 抜けて京へ向かうには、冬場の難所 
関が原が控えておりますし そこから今のように彦根、大津と出ると
かなり遠回りになってしまいます。

 

京に向かうには同じ難所でも 鈴鹿峠を通るほうが
幾分早かったのでしょうね。

 

それに京に近づく頃には疲れも出ているでしょうから、
七里を歩くよりは船で運んでもらった方がいいと云う
当時の考え方でしょうか?(笑)


お芝居の『東海道中膝栗毛』のお話は 必ず 江戸日本橋が出発点ですが、
猿之助四十八撰の『獨道中五十三驛』のお話は、京都三条大橋が出発点で
江戸日本橋がお芝居のゴールとなっております。


昼夜興行で昼と夜に、二つの演目を上演するのも面白いかも知れません

 

とは言ってもやはりこの両演目 場面数が多いので二つの演目の
大道具が劇場内に入りきらないでしょうね(笑)

 

『獨道中五十三驛』の初演時は 場面が五十三場ありまして、
終演となったのが0時前、次の日には3分の1の場面を
泣く泣くカットして 初日だけの幻の場面もございました。(笑)

 

今も昔も旅と云うものは、人の心を和ませます。

 

見知らぬ土地 見知らぬ人との出会い、再び訪れる土地
旅行は本当に楽しいものです。


私は、直接東海道を歩くと云う事はしたことはありませんが、
一部でしたら、箱根で歩きました。

 

また、バイクで、関宿から江戸(東京)までは走りました。


途中はもちろん宮の渡しではなく、国道からですが・・・

 

いつだったかな と思い、改めて見直しますと、2011年でした。
もう8年になるのですね。

 

こちらの記事から 数日この時の事を書いております。

 

今日の内容と多少被るかも知れませんが、興味のある方は
読んで見て下さいね。


江戸時代、旅は一生に一度の 一大決心! 

と 云うものと違って、今は比較的 簡単に旅に出られます。

 

そして その思い出は、ああ、あんなところに行ったなと
いつまでも 思い出せますね。 

 

皆様も 一度東海道、意識して旅してみて下さい。

 

ですが、もし 行けない時は 涼しい歌舞伎座でお手軽に
東海道を堪能してみて下さいませ(笑)