『市川猿三郎二輪草紙』今月初めにYahooブログから
アメブロに移行させて頂きました。

さらに今日、アメブロのオフシャル・ブログとして
嬉しい事に正式に格上げして下さいました。

これも皆様のご贔屓の賜物です、ありがとうございました。


昨日までは普通のページだったのですが、オフィシャルになるに伴い、
若干の仕様の変更がございます。


まず、皆様のコメントですが、基本的には今までは私が
手動で承認しておりましたが、変更になります。

私のコメントへの返信も、今まで通りには できなくなって
しまうようです。

 

今現在、どうしようかなあと 悩んでいる最中なのですが、
本文内でのコメントの返信にするか、コメント返信の記事を
毎日朝に挙げるか(その場合は 一日の記事が二つになりますね)
数日試行錯誤してみようかなと 思っております。

 

皆様とされましては 昨日までの私のページとは
少し勝手が違うかと存じますが、何卒ご了承くださいませ。


さて、歌舞伎座の海老蔵さんも昨日の時点では一旦、
明日18日から復帰されると云う 発表もありましたが 
やはりまだ大事を取られるみたいです。 

いつもこのブログに来て頂いております方にも、
ご観劇予定の方がおられたみたいで、本当に残念な思いですね。


公演中止のお知らせをご存じなく 地方からわざわざ
歌舞伎座まで来られて 入口で公演中止を知らされたお客様も
さぞ多かったのではないでしょうか?

せっかく日程のやりくりをされてのご上京を無にされて
歌舞伎に携わる者として 本当に申し訳なく思います。

 

7月の歌舞伎座公演は三代目市川猿之助奮闘公演、
その後は特別公演として 30年くらいの間 恒例として毎年 
復活古典歌舞伎が上演されておりました。

 

私もそのほとんどの公演に出演させて頂きましたが、
『義経千本桜』『伊達の十役』『獨道中五十三驛』などは
忘れられない公演です。

 

その中で1982年(昭和57年)7月には『続・獨道中五十三驛』として
「天竺徳兵衛新噺」が上演されておりました。

 

この公演の中日前の夜の部、猿翁旦那は序幕の早変わりの舞台裏で
事故にあわれ 足の指を骨折されてしまいました。

 

幕が閉まり次の拵えの為に 舞台の座敷屋台から急いで降りる際、
いつもは三段の階段が設けられている筈でしたが
その日に限って二段が置いてあり 旦那はいつものとおりと思い 
足を踏み外してしまわれたのです。

 

大道具さんの準備は交代制でして、この時には三段を置く、との事が
次の人に伝わってなかったそうです。

得てして事故はこのような単純な事で起こります。

 

それでも猿翁旦那は2幕の最後まで 痛みをこらえて勤められましたが
さすがに大詰めの連続早変わり舞踊は断念され 2幕を終えた時の口上で
お客様にお詫びをされ 3幕は急遽中止となりました。

 

その終演後、すぐに病院へ行かれるのが道理ですが 旦那は明日からの
代役と構成を変えられる準備をされ 主だった人たちを楽屋に集められ
その後の相談が始まりました。

 

旦那ひとりで勤められていたお役の代わりを先代門之助さん 
段四郎さん 歌六さん 歌昇(現又五郎)さん等々に割り当てて
後の事を会社の人と出演者に伝えられてから 病院へ行かれました。

 

結果は1週間休演治療で、1週間後 昼の部の『黒手組助六』の狂言を
指し替えられて『伽羅先代萩』の「床下」「刃傷」「対決」となりました。

初日の舞台が開いてから 途中で狂言差し替えと云うのは
本当に珍しい事でした。

 

「黒手組助六」は立ち回りや早変わり、さらに大詰めでは水入りまでありまして、
骨折した体には無理だと判断された結果です。

 

段四郎さんの仁木弾正、猿翁旦那は「対決」の細川勝元でした。

これはギブスをはめられた足でも長袴に隠れ お芝居には差し支えない
と云う理由でしたが 差し支えない訳がありません

 

21日から1週間だけの公演で、20日の夜の部終演後には
差し替え狂言の為の深夜に及ぶ舞台稽古。

アクシデントがありますと、その2倍3倍の負担が
全員にかかって参ります。

 

猿翁旦那も、怪我をしても休めないと云う事よりも 
見に来られたお客様を 裏切ってしまっては申し訳ないと云う 
使命感の思いの方が強かったのだと思います。

 

脳梗塞を発症されたあとの巡業の時の『一条大蔵譚』の時も、
公演途中で、もう休ませて差し上げたいと思っても 
私たちのその言葉を許さない と云った決意で臨んでおられるので、
何も言えませんでした。

 

今回の海老蔵さんもご本人は休演と云う事でしたが、
ただ休んでおられた訳ではなかったと思います。

お子さんの勸玄くんの事や代役のお稽古などもあったでしょうし、
とにかく一日も早くの 復帰の為に できるすべての治療を
施されていると思います。


また、いろいろと後の事も考えられたでしょう。

きっと一番悔しいし、つらいし、いろいろな葛藤があったと思います。


一日も早く お元気な姿で舞台に戻って来られます様、
陰ながら願っております。