今日は6月26日。露天風呂の日なのだそうです(笑)

由来は6・26(ろ・ふろ)とは、かなりこじつけですが、
面白い発想ですね。 温泉好きの私をくすぐっております(笑)



ですが今日の話題はお風呂の事ではなく、6月26日の読売新聞。

31面文化欄に、中井美穂さんの文楽の方へのインタビュー記事の横に
「ことばの魔術」と云う記事が載っておりました。

新聞社の文化部の方が書かれた記事で、初代中村仲蔵のお話でした。


落語、講談、浪曲などでしばしば語られるお噺。

「仮名手本忠臣蔵五段目 山崎街道」
名題昇進後に初めてきたお役が端役も端役の定九郎ひと役。


今でこそ定九郎のお役はこの仲蔵の型が主流となっておりますが、
江戸時代の当時は、定九郎は主家を裏切り 落ちぶれた髭もじゃのただの山賊。
 
台詞もなければ、勘平の義父与市兵衛を殺して金を奪い 
アッと云う間に鉄砲で撃ち殺されると云う、元々名題は勤めないお役でした。

憤慨したものの、「今までにない定九郎を工夫して 見返しておやりよ」
と云う女房に励まされて奮起し思案の末 仲蔵は雨の日にそば屋で
偶然に出会った浪人をヒントに工夫を凝らし 白塗りに赤鞘の大小を帯びて 
鉄砲で撃たれた時には 口から血糊を流すと云う工夫をして 
大当たりをとりました。



新聞の記事では昭和の落語の名人 林家正蔵の話を絡め
初日で仲蔵が定九郎を勤めた時、客席は意表を突かれ
掛け声ひとつかからずシーンとして居たそうです。

そこで仲蔵は「やりそこなった!」と 逃げるように帰る道すがら
芝居を見た男が仲蔵の工夫を絶賛しているのが耳に入りました。

「広い世間にたった一人 おいらの定九郎をいいと云って下さった
お客様がいる」その嬉しさを女房に伝えたくて 仲蔵がうちに帰ると・・・。


この後は、どなたかの落語の「中村仲蔵」をお聞きください。
私も先代三遊亭円楽さん長講のこの落語を持っており 何回も聞いております。

落語や講談、浪曲は演じる人によって強調される部分が違うそうですす。


内助の功であったり 芸道への野心であったり、記事の中で林家正蔵は
「たった一人に褒められた事を女房に伝えたいと思う、あそこが一番肝心だ」
・・・と。

記事の最後には、噺に工夫を凝らす誰もが、
「広い世間にたった一人・・・」の嬉しさを味わうため
と締めくくっております。



舞台に立つものとして、たった一人のお客様にでも認められれば・・・。

私も仲蔵のその気持ちは 大いにわかりますし
これからもこの気持ちは 大事にしていきたいと思います。