突然ですが「百舌鳥古市古墳群」 この文字は何と読むでしょうか?

答えは簡単ですね。 

百舌鳥(もず)古市(ふるいち)古墳群(こふんぐん)

と読みます。 
これは町名で大阪や堺在住の人は先刻ご承知(笑)

ここらあたりは百舌鳥、古市古墳群となります。


およそひと月前、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の
世界文化遺産に登録するように勧告され まもなく正式決定されますね。


かっては大小100基を超える古墳があったそうですが、
第二次世界大戦以後 宅地開発などで破壊され
現在では70基ほどが現存するそうです。

もっとも大きい古墳が大仙陵古墳。

前方後円墳。小学校の時に習いました(笑)

まるで鍵穴のような形の 古墳。
ですが、「前方(=四角)」「後円」墳ですので、正しくは私たちが
教科書などで見ている「鍵穴」とは 逆方向の見方が 正しいと云う事に
なります。


さらに、私たちが子供の頃は 仁徳天皇陵と聞かされておりましたが、
その確かな記録がないと云う事で 現在は大仙陵古墳と云う
名称になりました。

大仙陵と云うのは堺市大仙町にある古墳と云う事で、
町名が使われております。



大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)はピラミッドと並ぶ世界最大のお墓。

1600年も前にクレーンやブルドーザー重機のない時代に
人力によってこれだけ大きく正確に建築されていたのには
驚きですね。



先日、NHKの「歴史ヒストリア」でこの古墳群の特集を放送しておりました。

大仙陵古墳は今でこそ草木に覆われ 鬱蒼とした山と森の様ですが
かっては海辺からも見えるほど大きな建築物で異国からの侵略に
備えるのための防壁、そして巨大建造物として、威信を示す役目も
あったそうです。


天皇陵故、実際の堀の中の陵には入って探索する事は
許可されていない様ですが 中に何が眠っているのか? 
気になるところではあります。

でも堀外の敷地内からは当時の埋蔵品の土器や銅鏡などが出土して
歴史を感じさせてくれます。

凄くロマンを感じますね(笑)



スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の父 景行天皇が第12代天皇で
仁徳天皇が第16代天皇ですから時代的についご近所ですね(笑)


私にとっても、この百舌鳥古市古墳群、とりわけ百舌鳥古墳群は
親しみのある所です。

家人の実家、今は私にとっても「実家」と言えますのは、堺の地。
帰省いたします時には、大仙陵のすぐ横を電車で通過いたします。

後年、私の母が居を構えておりましたのも、この近く。
大仙陵のすぐ横にある駅は、母と会いに行くために 電車の
乗換をしておりました。


家人の母校(高校)もこの大仙陵古墳のついご近所で、
冬の体育の時間には この堀外1周がマラソンコースだったそうです(笑)

「授業の時間内にみんなちゃんと一周して 次の授業に間に合うように
 帰って来てたんよ(笑)」

という言葉に、思わず

「私ならそのまま次の授業さぼっちゃうかも・・・」

と言ってしまったのは ご愛敬・・・ですね(笑)


一度、上からの写真の様なものを見たいと思いまして、
堺市役所の展望室に行ってみましたが、それでも「林??小山?」でした。


ついでに、私が若い頃に住んでおりました大阪の高津町にあります高津宮、
ここにも仁徳天皇がお住いになっておられました。

仁徳天皇と大仙陵古墳は、なんとなく身近な存在です。


今度の帰省では、外堀一周してみましょうか(笑)
もちろん 走るのではなく、歩いてです。