『令和』の元号発表以来、万葉集が飛ぶように
売れているそうですね。(笑)

朝の情報番組でもこの万葉集に触れておりました。
私は勉強不足で、どうも万葉集の事はよくわかりませんが・・・。


歌そのものは難しいのですが、訳して下さると
なるほど 面白いものが多かったです。(笑)

それこそ、恋文であったり 不倫関係の歌だったり(笑)

お料理のレシピのような歌まであるそうです。

食べる事はともかく、ビックリしたのは、食べた後
トイレの臭いの話も歌になっているとか・・・。


もっとも奈良時代と云えど、今の人間の行動と
なんら変わりはありません(笑)

万葉集は生活感あふれた歌だと云う事がよくわかりました。

歌を詠むだけではなく この万葉集の歌を数種送って、謎解きのように
恋人に自分の気持ちを伝えた、と云う使われ方もしていたそうです。。




そこで思い出しましたたのが 先日お亡くなりになられた
スーパー歌舞伎の生みの親でもある梅原猛先生。

その作品のひとつに『オグリ』がございます。

中世のお話で、歌舞伎の『當世流小栗判官』を書き換えたものです。


そのお話しの中で、小栗判官藤原正清がまだ見ぬ恋人
照手姫に当てて百人一首の歌を贈ります。

「久方の光のどけき春の日に しず心なく 花の散るらむ」
「有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂き物はなし」 
「花の色は移りにけりな徒に 我が身世にふる眺めせし間に」
「大江山幾野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋」
「住之江の岸に寄る波寄るさえや 夢の通い路人目よくらむ」

(これらはすべてが万葉集からの出典というわけではありません)


この謎かけは、歌を詠んだ人にございます。

それぞれ上から、紀友則 壬生忠岑 小野小町 小式部内侍 藤原敏行
この頭文字をとって 「き み お こ ふ」=「君を恋ふ」


この謎かけを見事に解き明かした照手姫。

照手姫は、これに対して源氏物語で返します。

「なでしこの常なつかしき帚木の 心を知らで松風ぞふく」
「声はせで身をのみ焦がす蛍こそ 蔭と頼みし椎が下かな」

この二つの歌は、源氏物語五十四の巻の内 
「常夏」「帚木」「松風」「蛍」「椎が下」
五つの巻の名をそれぞれ 組み合わせて作ってあります。


それぞれの巻の名の頭文字を取ると「と は ま ほ し」
となります。


古語辞典で調べましたが、「とは」 とふ=ハ四「とふ」未 とありました。


まほし=願望助動詞「まほし」止 とありました。

「まほし」は、自己の願望も、あつらえ望む意味も、両方あるから、
「~たい」「~てほしい」のいずれでも訳し得ます。

と ありました。

このあたり、うまく説明する
知識が少し私にはかけております。

とおて(問うて=訪問して)きてほしい
という感じでしょうか。

私の知識不足は、物語の中の小栗判官に託します。


この謎かけをまたまた見事に解いた小栗判官藤原正清


お芝居の中では「訪ねて来い」と訳しており これによって
小栗判官が照手姫のもとへ走り 恋仲となるのです。



恋をする時でも この時代の人はかなりの知識が必要でしたね。

この時代に生まれなくて良かった(笑)

ですがこの後にこの二人には とてつもない試練が待っておりました。(笑)


この「オグリ」も再演が望まれるスーパー歌舞伎の一つです。(笑)

万葉集から思いがけない所へ 飛んでしまいました。

「花の色は移りにけりな徒に 我が身世にふる眺めせし間に」

桜の花は眺めていても いつかは散ってしまうように 
美女と云われた私(小野小町)も やがては老いてこの世を去って行く。

単に美しいだけでは 誰の心にも残りませんものね。

と、云うような意味だそうです。



東京の桜も今日の雨で、だいぶ散ってしまったようです。
散るから惜しまれる桜、でも今年はずいぶん 楽しませて貰いました。

歌舞伎にもご縁の深い和歌 万葉集から百人一首 源氏物語と
日本には優れた文化がございますね。