とうとう今日、新元号が発表になりましたね。
『令和』ですか・・・? ですが、まだしっくり来ませんね(笑)
『平成』の時もそうだったでしょうか?
いずれにしても これから長くお付き合い頂く元号、
慣れて来るのはこれからでしょう。(笑)
慣れて来るのはこれからでしょう。(笑)
さて昨日のお花見は、深川にして大正解だったようですね。
上野や飛鳥山は大変な人込みで、トラブルも多かったと
朝の番組で報道しておりました。(笑)
朝の番組で報道しておりました。(笑)
深川も決して少ない人数ではありませんでしたが、
私がお花見に行った時間帯はとても和やかな感じで
トラブルが起きそうな感じはありませんでした。
私がお花見に行った時間帯はとても和やかな感じで
トラブルが起きそうな感じはありませんでした。
それに夜になると 雨も降り始めましたので、大変だった事でしょう。
昨日、門前仲町からの帰り 途中下車の旅を致しまして
次の駅「清澄白河」で降り、深川江戸資料館へ行きました。
次の駅「清澄白河」で降り、深川江戸資料館へ行きました。
ここは 何度か訪れておりますが、いつ来ても楽しい所だなあと思います。
江戸の町は舞台上で何回も経験しておりますが(笑)
資料館での江戸の町では 長屋のそれぞれの部屋に 設定がございます。
資料館での江戸の町では 長屋のそれぞれの部屋に 設定がございます。
住んでいる人が 職人さんや 大工さん 棒手振り 小唄のお師匠さん
と云った住む人の違い、また、男性の一人暮らしなのか、女性の一人か、
はたまた、子供のいる家族だとかいう風に 色々な設定がしてあって
それに合わせた 生活感が表現されてあります。
と云った住む人の違い、また、男性の一人暮らしなのか、女性の一人か、
はたまた、子供のいる家族だとかいう風に 色々な設定がしてあって
それに合わせた 生活感が表現されてあります。
面白いですね。
館内では、ガイドの方が 色々と説明して下さっておりましたが、
それを聞いて「なるほど~」と思うのもよし、
ここは どんな人が住んでいるのだろう?と 想像しながら、
当てっこ(笑)するのも楽しいですね。
それを聞いて「なるほど~」と思うのもよし、
ここは どんな人が住んでいるのだろう?と 想像しながら、
当てっこ(笑)するのも楽しいですね。
私もさんざん想像して盛り上がった後に 別の方への解説を小耳にはさんで
「合ってる合ってる」と にやにや致しました(笑)
「合ってる合ってる」と にやにや致しました(笑)
舞台では、そば屋やお面 茶飯などの屋台を担いだ事がございます。(笑)
このそば屋は 私が舞台で担いでおりましたものよりも 少し上等の屋台。
上の部分にも 屋根がついておりました。
上の部分にも 屋根がついておりました。
生活感の中でも面白いのはこれ。
長屋の玄関の上に「久松るす」と書いてございます。
ここの住人は秀次さんで、久松さんではありません
これは、江戸時代の当時でも流行りました流行り風邪の 所謂インフルエンザ。
すぐにかかって、コロッとやられる、と云うところから
うつりやすい お染風邪と云われたそうです。(笑)
うつりやすい お染風邪と云われたそうです。(笑)
お染は 惚れっぽい・・・と云う事でしょうか。
ですから、ここには久松は居ませんから ここへは来ないで下さい。
と云う意味があるのだそうです。面白いですね。(笑)
と云う意味があるのだそうです。面白いですね。(笑)
また、大工さんのお宅には、大鋸(おおが)が置いてあり、
この大鋸で材木を引いて出たくずが「おがくず」と
呼ばれたのだそうです。
この大鋸で材木を引いて出たくずが「おがくず」と
呼ばれたのだそうです。
なるほど・・・と、係の方の解説に納得致しました。
私もまだまだ知らない事だらけで、大変勉強になりました。
江戸の町は少し歩くと名所だらけ・・・。
この深川江戸資料館のお隣が霊厳寺で寛政の改革を遂行した
松平定信公のお墓があるお寺でした。
松平定信公のお墓があるお寺でした。
そしてこのあたりが、なぜ「清澄白河」と呼ばれるようになったのか?
深川のこのあたりを開拓した八人の一人、清住(澄)弥兵衛に由来したのと
先の松平定信公の国元、福島県の白河藩に由来しているのだそうです。
先の松平定信公の国元、福島県の白河藩に由来しているのだそうです。
江戸時代の名称が今でも生きている深川、歴史が古いですね。
歌舞伎でも「名月八幡祭」「東海道四谷怪談」「梅雨小袖昔八丈(髪結新三)」
などは深川が舞台、「剣客商売」「鬼平犯科帳」等々 時代小説などでも
深川はよく登場致します。
などは深川が舞台、「剣客商売」「鬼平犯科帳」等々 時代小説などでも
深川はよく登場致します。
今でも江戸時代の匂いがする深川はさすがにいい処でした。(笑)