昨日のブログで「女鳴神」の時代的、地理的にお話を書かせて頂きましたが、
ある方から、松永弾正久秀の居城 信貴城跡のそばのお寺、
信貴山朝護孫子寺の本堂奥に「龍王の祠」があると教えて下さいました。
ある方から、松永弾正久秀の居城 信貴城跡のそばのお寺、
信貴山朝護孫子寺の本堂奥に「龍王の祠」があると教えて下さいました。
調べてみますと、「空鉢護法堂(くうはつごほうどう)」と云うところで
毘沙門天王の眷属、八大龍王の上首・難陀竜王(なんだりゅうおう)を
祀っているそうです。
毘沙門天王の眷属、八大龍王の上首・難陀竜王(なんだりゅうおう)を
祀っているそうです。
まさに龍神龍女が出てきそうな感じです。
ネットで見た絵馬も 龍の絵があしらわれておりました。
ネットで見た絵馬も 龍の絵があしらわれておりました。
こんなところからも「女鳴神」のお話が生まれたのかも知れませんね。
そして突然ですが、この寺の名前 何と読むでしょうか?
「斑鳩寺」
今月の「女鳴神」の常磐津の唄の中で、男女が出会う場所として
このお寺の名前が登場致します。
このお寺の名前が登場致します。
大阪や奈良にお住いの方は、難なく読めてしまいますね。(笑)
この近辺にお住いの方は 地理的によくお判りだと思うのですが、
大阪から奈良に向かうと、何処をどう通っても
南北に連なるどこかの山を越えなければなりません
大阪から奈良に向かうと、何処をどう通っても
南北に連なるどこかの山を越えなければなりません
山と云っても400m~600mくらいの山々なのですが、
越すとなるとやはり、なかなかの難所です。
越すとなるとやはり、なかなかの難所です。
北から生駒山(642m)信貴山(437m)二上山(雄岳517m 雌岳474m)
葛城山(959m)金剛山(1125m)そして高野山に繋がって参ります。
葛城山(959m)金剛山(1125m)そして高野山に繋がって参ります。
南へ行くほど標高が高くなって参ります。
なんばから奈良に行くとなると近鉄奈良線の快速急行で40分くらい、
大阪の一番東の駅 石切からトンネルとなり生駒山の下を通って
生駒駅~奈良駅となります。
大阪の一番東の駅 石切からトンネルとなり生駒山の下を通って
生駒駅~奈良駅となります。
生駒駅ではそこからケーブルカーで生駒山山頂へ行けます。
お天気がいい日は、西に大阪の街が、東に奈良の街が一望でき、
360℃のパノラマです。
360℃のパノラマです。
また、羽田ー伊丹間の飛行機に乗っておりますと、
この山の上を飛びます。
この山の上を飛びます。
生駒山の上あたりでしょうか?
お天気のいい日は ついつい下を見ながら楽しんでしまいます。
お天気のいい日は ついつい下を見ながら楽しんでしまいます。
お話がそれました。(笑)
先の「女鳴神」の常磐津の唄の中で、この生駒山も登場致します。
それで先の「斑鳩寺」の読み方ですが・・・。
≪いかるがでら≫と読みます。
奈良に斑鳩町(いかるがちょう)と云う町名がございます。
そして、そこにございますこのお寺は、あるお寺の別名なのです。
そう、斑鳩寺は、≪法隆寺≫の別名なのです。
斑鳩は、「鵤」とも書きます。これは小鳥の名前に由来します。
ちなみに私の小学校の時の給食の牛乳が「いかるが牛乳」でした。(笑)
そしてこの「いかるが牛乳」の会社の社長さんが現在でも
(鵤=いかるが)さんでした。
(鵤=いかるが)さんでした。
なんでいかるが牛乳なんだろう?と調べたら 出て参りました。
苗字だったのですね。
苗字だったのですね。
こじつけついでに・・・
今日の一番初めに出て参りました「信貴山」は、聖徳太子が戦いの勝利を
毘沙門天に祈り、その後見事勝利を収めた事から 太子により名づけられました。
毘沙門天に祈り、その後見事勝利を収めた事から 太子により名づけられました。
そして、斑鳩寺こと法隆寺も聖徳太子の建立。
斑鳩の地は、聖徳太子が住んだことでも有名です。
女鳴神の謎を解き明かそうと思いましたら 思いもよらず
あちこちから出て参ります 聖徳太子(笑)
あちこちから出て参ります 聖徳太子(笑)
謎は全く解けませんでしたが なんとなく つながった気持ちが
致しましたので、ま、いいかと(笑)
致しましたので、ま、いいかと(笑)
また、奈良や生駒にも行ってみたいものです。