昨日の節分と今日の立春は、とても暖かかったですね。

東京では気温19.4℃に達したとか、これはこの時期
立春の初めての最高気温の記録だそうです。(笑)

この暖かい春の兆しに、表に出ない手はありません



昨日は近場ですが、猿散歩と致しました。(笑)

と云っても 以前にこのブログでもご紹介致しました、
うちから歩いて数分の所の江戸時代の板橋の宿場町の界隈。(笑)

ここは日本橋からおよそ12kmの旧中山道一つ目の宿場町です。


今月の歌舞伎座 昼の部で上演致しております
『暗闇の丑松』の2幕目の舞台となって居る所です。

江戸時代板橋の宿場町 平尾宿 仲宿 上宿には
50以上の旅籠があり、そこには当然 飯盛り女と云う名目で
遊女がおりました。

何らかの理由で、妓楼に売られて来た少女たちは
借金のかたに遊女となり、春を売ります。

寒い冬を過ぎて、暖かさにホッとする季節の名前の春が、
女の体を売る行為に使われると云うのは、
なんともやり切れないものです。



一時の激情で料理人の丑松は人を殺してしまい 親方の四郎兵衛を頼みに、
愛妻のお米を預けて 丑松はほとぼりの冷めるまで江戸を離れ旅に出ます。

しかしお米は四郎兵衛に騙されて 板橋の妓楼に売り飛ばされてしまいます。


時が経ち 旅に出ていた丑松が お米会いたさに江戸を目指し 
一つ手前の板橋宿で、思いがけなく遊女に身を落としたお米と
再会いたします。

お米は、四郎兵衛に売り飛ばされた成り行きを話しますが
丑松には信じてもらえず、絶望したお米は自ら命を絶ちます。

と云ったのが、『暗闇の丑松』のお話です。


当時 女郎が死ぬと、妓楼の主は弔いもせず二百文(およそ5000円)
の銭と共に遺体を筵にまいて、あるお寺に投げ込んだのです。

そのお寺が投げ込み寺と云われ 江戸四宿(品川・新宿・千住・板橋)に
ひとつずつ、板橋には文殊院と云うお寺があります。

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お米が投げ込まれたのも まさにこの文殊院です。


本来 遊女にはお墓はありませんが、板橋のある妓楼の主が
自分の代々のお墓の横に、身を投げたり 首を括ったり
心身の病などで亡くなった遊女たちのお墓を作りました。

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これは人として扱われなかった遊女たちにとっては
とても珍しい事なのです。

悲しいですね。お芝居ではなく つい百年くらい前までは実際にあった事なのです。


お墓には「薄倖の美女の献身と悼み、平尾宿大盛川楼主建之 
正面家族側面遊女」の説明文がございます。

そんな楼主もいたのですね。
そして、そんな楼主の行いは、今現在まで こうしてみる事が
出来るのですね。



『暗闇の丑松』をご観劇の後 もしお時間がございましたら
ちょっと足を延ばされて、お米が眠っているとされる
板橋の文殊院を訪れてみては如何でしょうか?

余談ですがこの文殊院 私が通っている整骨院のすぐお隣です。(笑)


週に何度か行きますが、文殊院に入ったのは ずいぶんと久しぶりです。
もう少し暖かくなると、ここの桜も楽しみです。