今月の私の出ておりますのは『金門五三桐』の「大仏餅屋」の場面。


先日の「猿散歩 船場」のところでも書きましたが、昨年末は幸助餅、
そして今月は 大仏餅と 餅屋に所縁の出番が続いております。(笑)

幸助餅はもちろん 大坂 長堀の地です。


では、今月の「大仏餅」この場所は一体どこでしょう??
と云うのが、今日のブログのお話です。


実は物語の舞台は京都です。ですが、ちょっと考えましたら
「大仏」なのですから、奈良かなと思われる方も
おられるのではないでしょうか??

現在、関西地方で考えますと おそらく「大仏」と言えば 
奈良の東大寺なのでしょうが、かつては 京都にも
立派な大仏がございました。


場所は今の地名で言いますと 東山七条。

現在でも、豊国神社の中に方広寺というお寺があるところと言えば 
ピンとくる方も多くおられるのではないでしょうか。


私も京都公演の際には 何度か訪れたことがございますが、
この方広寺は今では「国家安康」「君臣豊楽」の銘のある梵鐘が有名ですね。

この梵鐘の銘がきっかけで、家康が豊臣に難癖をつけ!(笑)
大坂の冬・夏の陣が起こり、豊臣家滅亡につながったという話は
ご存知の方も多いことでしょう。


この、方広寺こそが、京都の大仏のあったところなのです。

もともとは秀吉により計画されたものだったのですが、
大仏造営途中に大地震により大仏は崩壊。

その後秀頼によって1612年に完成させられたそうです。
この年がまさに大坂の陣。

奈良の大仏よりも 大きなものだったということですから 
当時は名所だったのでしょうね。

その後、何度か焼失したりしつつも 再建されましたが 
昭和48年に火事で焼失して以降は作られておりません

『東海道五十三次』の弥次さん喜多さんも見物しているそうです(笑)


今ではそこに大仏があったというのは あまりイメージがわきませんが、
今回書くにあたってちょっと詳しく調べてみましたら 
今でも「大仏前交番」とかの名前が残っているそうです。

京都で学生時代を過ごした家人に「大仏前交番知っている?」
と聞きましたら「めっちゃ知っている!!!」と大笑いしておりました。

が、直接「大仏」と 結び付けて 深く考えたことはなかったそうです。
そこは「大仏前交番」って名前だったので 漠然と大仏前かあ~
と思っていたとか(笑)


「詳しく場所わかる?」と聞いたら 「京都国立博物館の角~」
と言ってましたので 前を通られた方も多いのではないでしょうか?


イメージ 1


(Googleから地図をお借りして、少し印付け致しました)

ちなみに 方広寺門前で売られていたのが 今回の舞台
「大仏餅屋」なんだそうです。


さらに、地図を見ていただいたらわかると思うのですが、
地図の左右方向(東西方向)に伸びている道の名前が「正面通り」

これこそ、大仏殿(方広寺)の正面に続いていた 参道だったことから
名づけられた名前だそうです。

この通り沿いに 大仏餅屋があったのでしょうか。


この大仏餅、当時のお店は すでにありません。
ですが 少し場所は違うかもしれませんが、同じく正面通りの
「甘春堂」さんが 当時の作り方で再現して 現在でも販売しております。


過ぎ去った時代のようですが 少し調べてみますと 現在まで
息づいているものなのですね。

明日は、お芝居の中の「大仏餅屋」の謎を いよいよ解き明かします。(笑)