本日11月歌舞伎座『顔見世大歌舞伎』公演 無事に千穐楽を終えました。

ひと月に渡ります 歌舞伎座の顔見世公演に
足をお運び頂きました皆様 本当にありがとうございました。


今月は1ケ月、一切歌舞伎座の本舞台には 足を踏み入れず、
花道から出てきて、途中で踵を返す形でしたが、
こんな月もまたあり。(笑)

非常に歌舞伎座の舞台が遠い 1ケ月でございました(笑)


ところで、今月の始めに「顔見世の櫓」の話をしましたのを
覚えて居られますでしょうか?

この櫓のブログを書きました時に どうも 気になって
仕方ない事がございました。

それをネットで調べたのですが、ネット上には 調べても
片方の情報しかなく、それでは 現場の人間で知っている人を
と思いましたが なかなか そんな人物との時間が取れず。


なんとか、千穐楽の日までに 解明したいと思っておりましたが
ようやく、スーパー歌舞伎の舞台監督も勤めておられる井口さんに
教えて頂きまして、わかりました。


そこで、おそらくすでに下ろされてしまっているとは思いますが
東西の違いについて ひとつ。



先日の写真は覚えておられますでしょうか?

再度、今月の歌舞伎座の写真と 数年前に私が出演しました
南座の顔見世公演の写真を出してみます。

イメージ 1




そこにございます意匠は それぞれの劇場にゆかりのあるもの。
そして、その上には「梵天」というのものが 上に二つ
突き出て居ります。

少し見にくいのですが前方には五本の槍が・・・。

今月のチラシにこの櫓が載っておりました。

イメージ 2



実は、私個人にとりましてはどうしても 歌舞伎座よりも
南座の顔見世の方が なじみが深いのですが
初日に出しました写真を つらつら 眺めまして、
どうしても、この梵天に 違和感があったのです。

イメージ 3


(わかりにくいので アップに切り取りました)

写真をよく見て頂いたら 分かると思うのですが、
南座の梵天は もしゃもしゃとした、大きめの
わっさりしたものが あがっているのですが、

歌舞伎座の物は 丸い部分が小さく、てるてる坊主のような?


この形の違い、質感の違いが いったいどこから来るのだろう???と。


即座に調べましたところ、南座の梵天に使われておりますのは
美濃和紙だと 判明いたしました。


そして、歌舞伎座。

歌舞伎座の梵天は 麻でできているのだそうです。



なるほど!!!

違和感の正体がはっきり致しました。


そもそも、紙と布(繊維?)の違いがございますので
色も 質感も全然違う訳ですね。


それぞれが どういう由来、どういう経緯で 使われたのか
これに関しましては 全く分からないと云うのが 正直な処です。


ですが、京に近い「美濃」の地の美濃和紙を使った京都。
これはなんとなく 納得がいきます。



では麻は???

従来、日本の衣類は 綿ではなく麻でした。
それが 江戸時代に徐々に 綿に変わって行きましたが、
その綿の重要な産地は 関西を中心とする 西の方だったのです。

対して 麻は 日常の衣類ではなくなったようですが、
裃など 江戸時代の武士文化を通して 使われ続けました。

そして、その産地は 越後や今の東北地方が 中心でした。

『仮名手本忠臣蔵』や『義経千本桜』と云ったような江戸と上方、 
東西の型の違いのお芝居はございますが、上方物のお芝居で
そう云えば裃をつけて舞台に登場する演目が、思い浮かびません

上方物ですと登場する侍は大概、羽織袴ですね。

確かに上方の代表的な芝居で裃を着ているものは
それほど多くはないと思います。


武家社会の江戸の歌舞伎、庶民をあつかった上方の歌舞伎
それをも象徴しているような気が致します。


調べて分かった事を 書きながら さらに調べますと
何やら 一つの答えが出てきたように 思います。



それぞれの梵天。

形の違いの意味は分かりませんが その地域に非常に
関わりの近いもので 作られているのではないでしょうか?

もっとも、実際に江戸時代から 変わらずにこの形であり
この素材であるのかどうかは 一切わかりません。

ですが、現在の南座と歌舞伎座に上がっている梵天。
実際の違いは もしかしたら その地に根付いたもので
あるのかもしれません


あくまでも、これは私自身の勝手な考証です。
一つの意見として 読んで頂ければと思います。

ですが、こんな見た目の違いも 突き詰めていくと
結構面白いものだなあと 改めて思いました。