今月の3部『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』

「盟」と云う文字は「ちかい」とか「ちかう」とかに使われる文字で、
連盟や同盟のように、使われます。


この「ちかい」を知るには、『盟三五大切』の元となるお芝居を
知らなくてはなりません 



『盟三五大切』は書き替え狂言でして、元となるお芝居は
『五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)』

題名の五大力とは本来 五大力菩薩の略で、女性からの恋文の封じ目に
必ず届きますようにとの願いを込めて書いた文字の事です。


この『五大力恋緘』は1734年(元文2)に薩摩の侍が
曽根崎で 湯女たち5人を斬り殺した 事件を題材にいたしまして、
並木五瓶により 1794年(寛政6)大阪中の芝居で
初演されました。


翌年、江戸で再演の際に、舞台を曽根崎から江戸の深川に移し、
近松門左衛門の人形浄瑠璃の薩摩歌の世界を取り入れ 
主人公の名前は薩摩の侍からとった薩摩源五兵衛、
湯女の名前も菊野から深川の芸者に改められ 小万となりました。


『盟三五大切』をご覧になった方には 聞き覚えのある
名前でしょ?

設定は違いますが『盟三五大切』も 登場人物の名前が
『五大力恋緘』のほとんどそのままが使われております。 

違う所は 薩摩源五兵衛は実は赤穂の義士 
不破数右衛門であったと云うことです。


あまり内容を明かすと 面白くなくなってしまうのですが、
『五大力恋緘』は薩摩で盗まれたお家の重宝、龍虎の呼子をめぐって、
それを小万は手に入れるために 好きな源五兵衛に愛想尽かしをして 
わざと盗賊三五兵衛に近づきますが、その真意がわからず 
それに怒った源五兵衛が小万を殺してしまいます。

と云うのは、小まんは三味線の裏に源五兵衛に「ちかい」を立てる意味の
五の文字にかけて「五大力」と云う文字が書かれてあります。

それを三五兵衛に近寄るために 五の文字の上に三を足し
力の横に七の文字を加え「切」として「三五大切」と云う
「ちかい」の文字に書き替えたのです。

当然 それを見た源五兵衛は怒りに狂ったと云う訳で 
小まんがその真意の書置きを 書いてる最中に 
忍んで来た源五兵衛に小まんは殺されてしまいます。

後にその書置きで小万の真意が知れるという悲劇です。



その題材を『盟三五大切』ではそのモチーフはそのままで、
数右衛門(源五兵衛)は義士としての支度金 百両を
小万と三五郎にだまし取られます。

ですが三五郎はなんと、父親の手助けで顔の知らない元のご主人  
不破数右衛門のために百両を作ろうとしていたのです。

つまりご主人の数右衛門のための百両を 源五兵衛と名乗る
数右衛門から奪い取った事になります。


そして騙された事で怒りに狂う源五兵衛は、小万と三五郎を殺すつもりで
間違って別の人間を五人斬ってしまいます。


悲劇が悲劇を生み、見ているとかなりつらくなってしまうのですが、
最後はすべてが明るみに出て 百両は不破数右衛門の手元に戻り
その時 赤穂義士が迎えに来て 無事に討ち入りに出立するところで
お芝居は終わります。


ただ五大力の文字は『盟三五大切』では小まんの腕に彫られた
刺青となっております。

南北らしいおどろおどろした内容で、場面的にも
凄惨なところがございますが、これが南北作品の持ち味でしょうね。

昔は著作権等がなく、一つのお芝居が当たると まがい物的に
似たような色んな作品が乱立して ふるい落としにかけられ 
いい作品だけが後世に残ります。 


中には元の作品が消え 設定などをパクった(笑)作品の方が
残る事もしばしば、こうなるともう どれが原作か?
わからない状態になりますね。

でもそれが江戸時代からず~っと歌舞伎が残って居る
ひとつの原因でもあります。