サッカー ワールド・カップ ロシア大会の日本対セネガル戦は、
24日深夜ですから、少しホッとできますね。(笑)



そこで本来の歌舞伎のお話し(笑)

『慙紅葉汗顔見勢』の通称は 云わずと知れた伊達の十役。
元となるお芝居はもちろん『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』

これからの文章は、以前にも書いた事と重複している箇所が
あるかも知れませんが お許し下さいませ。



題材となりますお話は江戸時代に起こりました伊達騒動。

ですが当時は江戸時代ですので、作者が徳川幕府に遠慮して実名を使わず 
室町時代に沿って書いているのは『仮名手本忠臣蔵』と同じ手法。


なので『伽羅先代萩』のお芝居には「伊達(だて)」の文字が
一切登場致しません
(伊達の十役)は、お芝居とは関係なく早変わりの事ですので異色な事です。


ですがご見物人は『伽羅先代萩』の場所もどこそこで、人物も誰が誰と分かる訳です。

創作上の仁木弾正は伊達藩の家老、原田甲斐 
足利頼兼は伊達藩主の伊達綱宗
と云った具合です。  


場所も鎌倉に移してありますがもちろん江戸、廓のある大磯は吉原の事。
花水橋は日本橋 二幕目の宝蔵寺堤は吉原へ向かう日本堤であろうと
思われます。

東京にお住いの方なら このあたりの地理もお分かりなのでは?(笑)



ですが、ここであえて実名が登場致します。

三浦屋と云うのは本当に吉原にあった遊郭のお店の名前ですし、
見受けしようとする高尾太夫も実在の人そのままです。

お芝居に登場する高尾太夫は三浦屋の代々の傾城の中で
二代目の高尾太夫だそうで、藩主伊達綱宗の思いのままにならなかったために 
船の中で惨殺されたとされておりますが、事実はわかりません 

絹川与右衛門がお家の為に 命を奪ったのかも・・・?(笑)

こう解釈致しますと面白いでしょ?


お芝居の中で足利頼兼が履いている香木(銘木・・めいぼく)の伽羅の下駄は
実在の伊達綱宗が吉原に通う際 実際に履いて居たそうです。


そこでついた外題が「伽羅」と書いて(めいぼく)と読ませ、
伊達藩のある東北の宮城野は「萩」の名所。

そこで仙台とお家争いの「先代」をかけ、見事な外題が出来上がったわけです。



舟座敷の土手の道哲の台詞ではありませんが、

「座敷(騒動)を舟(伊達藩)になぞらえ 高尾丸(伽羅先代萩)とは、
 ま、つけたりな頼兼(作者)め!」ですね。(笑)



ちなみに猿弥さん扮する管領山名左衛門持豊は
当時の大老 酒井雅楽頭忠清(さかいうたのかみただきよ)

幸四郎さん扮する名裁判官 細川勝元は
老中 板倉内膳正重矩(いたくらないぜんのしょうしげのり)です。

ただ、山名持豊も細川勝元も足利時代に実在した人物ですので
ここの処をお間違えなく・・・。(笑)


『伽羅先代萩』は文楽よりも先にできた歌舞伎の創作の物語ですが、
これに近い事件が伊達藩で起こった事は事実です。

ちなみに実際の対決は酒井雅樂頭忠清の屋敷で行われ 
原田甲斐は伊達宗重(渡辺外記)を 斬り殺し
その場でその一族により 斬り殺されております。


お話しとしては山本周五郎さんの「樅の木は残った」がとても優れていますが、
これは逆臣、原田甲斐を実は忠臣であったとする逆転の発想の物語。
これも面白いですね。


私、この小説を1999年11月の猿翁旦那と段四郎さんでの
通し狂言『伽羅先代萩』の巡業公演の折に改めて読み直し 
物語の経緯がよくわかった次第です。

今となっては事実はどうであったかはわからず、
そのぶん歌舞伎でも小説でも ロマンがさらに広がりますね。


今日の写真は、『伊達の十役』の中で高尾殺しのあった舟座敷から
滑川宝蔵寺堤の場へ今にも舞台が回り 場面転換する最中です。

イメージ 1


イメージ 2


今回の『伊達の十役』もそのような観点からご覧になるのも面白いかな?
・・・と 思った次第です(笑)