毎日、『伊達の十役』のお話で申し訳ありません

先月書きました通り 私『伊達の十役』の事となりますと
枚挙に暇がございません もう少しお付き合いを・・・(笑)

まず、この衣裳をご覧くださいませ。

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『伊達の十役』の中で、伊達藩のお殿様 「足利頼兼」が
「仁木弾正」の用意した 藩のお金で身請けしようとしますのが
「傾城の高尾」

身請けを許しますと藩の大事と、その高尾を殺そうとしますのが 
忠臣の「絹川与右衛門」で その時与右衛門が着ている衣裳がこれです。


私も猿翁旦那の時には必ず この衣裳を着て居りました。
何百回着ましたでしょうか・・・?(笑)


そう、この写真を撮らせて頂きましたのは 与右衛門の吹替えでして、
申し訳ありません 吹替えの彼を正面から撮る事ができず 
また名前を明かす訳にも 参りません ご了承くださいませ。

その事を彼に説明したうえで 撮らせてもらいました。(笑)



私が過去に勤めておりました事は、もう日も経っております事から
時効と云う事で・・・(笑)


この衣裳の柄、よく見て頂くとお分かりかと思うのですが、
ただの丸い点ではなく 上から何かを垂らしたような模様になっております。

この衣裳の柄の名前は「糊こぼし(のりこぼし)」と申します。

あずき色に染めた着物の上に白い糊を 上から垂らしたような模様。

まさにネーミングの通りに 色っぽい柄となっております。


「絹川与右衛門」のお役は幸四郎さん 殺される「傾城高尾」も幸四郎さん
障子と屏風をうまく使いながら 殺す方と殺される方が随時、
入れ替わりながらの立ち回り この殺陣を立てましたのも
昨日、鼠でご紹介しました猿十郎さん


猿翁旦那(与右衛門と高尾大夫)と、私(与右衛門)と
女形の吹き替え(高尾大夫)の方と3人二役の立ち回り。(笑)


高尾殺しの幕切れでは、悪坊主の「土手の道哲(幸四郎さん)」が登場いたしますが、
道哲は黒の絣(かすり)の羽織を 半裸の上に羽織っております。

お客様は殺した方と 殺された方の二役に注目しており、
逃げ去って行く与右衛門の姿を花道に見送っております。



しかし、まさか花道から登場した土手の道哲と花道七三上で
与右衛門と道哲が 早変わりで入れ替わるとは 誰もが
思っていなかった事でしょうね。

幸四郎さんの「与右衛門」を花道へ見送った後、舞台上の「道哲」で
幸四郎さんが立っているのを見て お客様はいつも唖然としておられます。(笑)


猿翁旦那の時に、この場面の土手の道哲の吹替えをしておりましたのも猿十郎さんで
『伊達の十役』の上演記録中 最速0.4秒での早変わりを
記録致しました。

今月も、幸四郎さんと鮮やかに入れ代わっております 吹替えの人も
うまいと思います。


この早変わりは2月に博多座で中村七之助さんが上演致しました
『お染の七役』のお染と久松の早変わりの応用ですが、
猿翁旦那は猿十郎さんと、あえて花道七三での入れ替わりを
敢行致しました。

花道両側はお客様の目線目の前 あえてここでの早替わりはよほど
自信がないとできません

これは猿十郎さん 実に鮮やかでしたね。


私は高尾殺しの与右衛門の吹替えで 舞台上に残っておりましたが
ここでの入れ替わりの後の猿翁旦那への拍手と、「ウソ~!」と云う
感嘆の声は舞台裏で毎回聞いておりました。


当時、私も含めて(あえて私も入れて下さい・・・笑)作り上げて来た
色んな場面の独自の技法が、今ではもうどの演目でも参照されます
いわゆるマニュアルとなってしまいました。

マニュアルと云うのは寂しい事ですが、先日も書きました通り
誰が最初にしたか?とか 誰が作ったとか云うのは
歌舞伎では問題でもなく 関係もなく 次の人がどんどんそれを使い 
新しい技法をさらに取り入れていくことが 歌舞伎と云う芸術の発展につながります。

正直、歌舞伎の作風に関しましては 著作権もくそもありません
全部 色んなお芝居の良いとこ取りで 盗作ばかりです(笑)

歌舞伎の中で、誰が最初にトンボをかえったか?
誰がお染と久松の昆布巻きの早変わりを考えたか?
誰が早変わりと云う 演出を考え実行したか?

それらの作った人 吹替えの名前も含めて 何も記録には残っておりません

その中でこのブログで、これは猿翁旦那とささやかなながらも
猿十郎さんと私が 作ったのだよ!と云う 楔だけは残しておきたいな・・・。(笑)

と 思いこの『伊達の十役』の裏話を書かせて頂きました。


猿三郎もこの作品に 深くかかわっていたのだなあと
おもっていただけたら幸いです。

というよりも、思って下さい!(笑)