浜町会館でのお稽古を終えて 明治座に入りましたのは、1979年3月の末。

初日が開きますのも あと数日という時でありました。


それはなぜか?

当然といえば 当然なのですが、4月の前には3月の公演がございます。
つまり、前の公演が終わりますまでは、次の公演の準備はできません

当たり前のことなのですが、私たち「舞台俳優」といいますものは
この毎月の繰り返しでございます。


ですが、この時は、大変でした。

当然、3月の三木のり平さん、京塚昌子さんの公演がございましたので、
この公演の千穐楽が終わるまでは 劇場に入る事ができず、
大道具 小道具等も それからの搬入になります。

それゆえに 小さな浜町会館での それまでのお稽古だったのです。



劇場に入っても大道具などの設営ができるまで、役者は舞台には
上がりたいのですが、上がることはできません。

結局 明治座ロビーでの お稽古となります。

が、この4月公演に上演しますのは『慙紅葉汗顔見勢 伊達の十役』
だけではありません

これがまた 困ったことで(笑)


夜の部では『夏祭浪花鑑』の住吉鳥居前から大屋根の立ち回りまでの通し上演、

さらにそれが終わりましたら、出演者ほぼ全員出演の
およそ50分の舞踊『唐相撲』

この『唐相撲』は、唐の国で日本の力士(猿翁旦那)が、
相撲を披露すると云うもので 唐の国主(宗十郎さん)から命じられた配下が、
順番に相撲を取ります。

ですが力士に勝てるものが居らず 最後は国主自ら配下全員で 
力士と戦うという大立ち回り舞踊。


『伊達の十役』だけでも大変なお芝居に、さらにこの2つがお稽古に加わり
3、4日の舞台稽古では当然 時間が足りません


なんでこんな演目だったのか。

それを言っても 今更仕方ないのですが この組み合わせは 
本当に 「ありえない」 といった感じでした。



劇場に入ってからも連日の徹夜稽古、みんな楽屋に寝泊まりでした。

その頃の旧明治座の楽屋 暖房もそんなに効かず 
楽屋で部屋着や バスタオルを羽織っての仮眠ばかり、
お稽古も押せ押せでした。


そりゃそうです。

お稽古場では「ここで、早変わりで・・」とか 云っておりましたが
いざ舞台に来てみますと そんなスペースどこにもありません

まして、発端 序幕あたりは真っ暗で 早変わりするにも何も見えません

明かりをつけると客席に漏れてしまいますし、その早変わりのスペースを
黒幕で覆って作ったりする作業のそれだけで お稽古の時間が奪われ
どんどん時間が過ぎていきます。


背景のここから抜けてあちらへ、と云った時などは 
背景を切り 穴をあける作業が始まり お芝居のお稽古どころではありません


早変わりが間に合わず さらにお芝居を作ったり 出入りの場所を変えたり
その都度 お稽古場では考えられなかったアクシデントが次から次から・・・。

結局、通しの舞台稽古が終わりましたのは 初日当日。
それも、11時開演の前の朝の7時頃。


もちろん 初日通りでお稽古を行っておりましたので、それから一旦
衣裳を脱ぎ また、改めて初日のお化粧をし直すと云ったような状態でした。


とにかくがむしゃらで、初日の昼の部『慙紅葉汗顔見勢 伊達の十役』は
終わりましたが、それから夜の部『夏祭浪花鑑』の通し その後『唐相撲』


『唐相撲』は、私たち名題下は最後の大立ち回りまで 舞台にず~っと
座った状態で待っております。

照明に当てられ眩しいのと、その光で温かく感じるのと・・・ 
さすがに、この時には 瞼が自然に 下がって来てしまい 
初日以後 毎日かなりつらい思いを致しました事を 覚えております。


それでも初日が開いてから それだけでは終わらず
『伊達の十役』の手直しや、カットなどもありまして どんどん改良されました。

が、それも終演後に改めてお稽古と云う日もありました。


大詰めの大ネズミの仕掛けなども、舞台稽古の時は猿翁旦那の
理想としたものとはほど遠く 作り直しを要求され 確か3日目あたりに
新しいものに変わったと思います。


こんな『慙紅葉汗顔見勢 伊達の十役の』初演初日あたりのお話。

思い出したくもないような、一生忘れられないような・・・
そんな強烈な 思い出でした。


ですが、早変わり 宙乗りが日に日に、評判を呼び 
劇評もかなり高い評価をされ 劇場チケット売り場には問い合わせ殺到

「≪さるのすけの いたちのじゅうやく≫の チケットまだありますか?」と。


歌舞伎の「か」の字も知らない方からの 問い合わせが 多かったこと
このエピソードからも わかるのではないかと思います(笑)



1979年(昭和54年)のくたくたになったこの年の2月から4月、
明治座公演までを つづらせて頂きました。(笑)


二度とできません。

やるものですか!!!


ですが、あの苦しかった時から 40年の時を経て こうして文章にして
皆様に読んでいただくことが できますのは 当時に体験しました
私だからこそ だと思っております。


こんな出来事があったんだ~ と思っていただきながら この演目を
見ていただきましたら 幸いに思います。


明日からは、少し方向を変えて『伊達の十役』の事を書かせて頂きます。