昨日からのつづきです。

2月のグランド歌舞伎を終え 数日のお休みの後、
旅行会のお稽古のために東京に呼ばれました私と父の冠十郎。 
(この折には私は 澤瀉屋の一門ではなく 父とともに関西籍でした)                           

猿翁旦那のお客様の慰労会 第5回、熱海でのおもだか旅行会。
 
旧松竹本社のお稽古場を猿翁旦那が自費で1週間ほど借りられて、
お遊び会にもかかわらず 朝から晩まで1週間の徹底的なお稽古となりました。


そもそもこの旅行会というのは ある趣旨をもって行われておりました。

猿翁旦那はお芝居の公演期間中1日中 舞台に立っておられるので 
休憩時間にお客様が楽屋へ来られても ほとんどお会いになるという事が、
できない公演が常でした。

その分、1年の中でこの2泊3日の旅行会だけは徹底して、
お客様と接しられ 日ごろのお詫びと云うような 大サービスを
展開されておられました。
それが 当時の旅行会というものでした。


その旅行会に東京でのお稽古を終え 私たちが前日、熱海入りをしまして 
さらに現場でお稽古を重ね 次の日にお客様が来られるのをお迎えして 
旅行会が始まりました。

場所は熱海金城館の大宴会場。
劇場から比べると舞台はかなり小さいですが、その分 お客様との距離が
近くなります。(笑)



お客様は旅館に着かれた後 まず開催の式典がありました。 
その後 各自お風呂に入られ 大宴会場にて夕方のお食事をされます。


その時に私たち役者は猿翁旦那をはじめとして 別々のお席に着かせて頂き 
お話をしながら200人ほどのお客様にお酌して回るお役目、
その間約1時間半。 


その後私たちは できるだけお客様をお待たせしないように
急いでお化粧をして そのあと7時頃から、先の演目が始まり 
およそ深夜1時頃まで、6時間ぶっ通しの上演。


この時の2泊3日の旅行会 熱海で上演しましたのが
三波春夫さんの歌謡浪曲「大忠臣蔵の全段通し」 
元宝塚の方の振付による「タカラヅカ・オンパレード」
そして「各役者 独自の選考による新舞踊集」等々、
もちろん 全員衣裳かつらをつけての本格的なお芝居・・・(笑)


実は演目は大衆演劇をもじったようなタンカラですので、
台本通りとは行かず アドリブが入ると どんどんお芝居が伸び、
各自 猿翁旦那にも負けないように 自分をアピールするお芝居を 
どんどん入れて参ります。


さらにおひねりは飛び交い、それは私たち役者連の収入にもなりますので
みんなフル回転で必死です。(笑)

ですから時間が どんどん伸びるのです。(笑)


ただ、単にだらだらと伸びてはお客様が飽きられるので、
きっかけや 云わなくてはならない台詞などは 
きちんと覚えておかなければなりません

アドリブなどで大笑いして グチャグチャになったお芝居を
元に戻すためには 逆にきちんとしたお稽古が必要なのです。(笑)


ま、役者も楽しみながら演じられますが、かなり体力を消耗します。(笑)


それが終わってからお化粧を落とし すぐさまその後、各自スーツに着替え
深夜2時から明け方6時まで ダンス会場にて 
各お客様と私たちがお相手する ダンス・パーティーが開催されました。

もちろん猿翁旦那、段四郎さんもです。 

やっと解放されるのが朝の6時ですが、そのあと次の日のお稽古や独自の準備。


次の日の朝10時にはまたまた、お客様と全員集合で、今度は表に出て 
熱海梅園や近くの観光地でお客様と写真撮影。 


2日目も違う演目で、同じような任侠ものの「兄弟仁義」や別の「舞踊ショー」
その後 2日目のダンスパーティー。

寝る時間などほとんどありません



先にも書きましたがお遊び会とは云いながら、猿翁旦那の徹底ぶり
指令が、「お客様を飽きさせない 寝かせない事!」(笑)

もちろんくたびれた方々は各自 お部屋に帰りお休みなられるのご自由ですが、
ご高齢の方々に及ぶまで ほとんどお部屋に帰られた方は居られませんでした(笑)


お客様も一旦お部屋にお帰りになって 観光のために衣服を整えられ
お化粧までされて再び 集合されます。

却ってみなさん 活性化されお元気になられます。(笑)



こう云った内容ですの ある程度きちんとしたスケジュールを立て 
またお芝居はお稽古をして行かないと 旅行会の内容行程が進みません

私が2泊3日で いやその前日から乗り込んでおりますので、
この3泊4日間で 旅館の布団の中に入ったのは
トータル4時間もありませんでした。 


若かったからできたことでしょうか。
それに ちょうど時代が それを許した ということでしょうね。
今では 考えられません。


こんな旅行会 まだ覚えておいでのお客様 居られますでしょうか?(笑)


この、旅行会が終わった後、私は2日間ほど大阪の自宅へ帰ったのですが、
夜の6時にベッドに倒れ込むように寝ましたが、
12時には目が覚めてしまいました。

なんだ6時間しか寝られなかったのか・・・?と もう一度寝ようと思い、
カーテンを閉じようとしましたら 外が明るいではありませんか・・・?

もう一度 時計を見ましたらやはり12時・・・ですが、お昼の12時!(笑)

え~? なんと私 次の日の12時まで18時間 
一度も起きずに寝ていた事になりました。(笑)


1年に1度3月は、こう云った色んなところへ観光に行き 
夜は大宴会場でタンカラお芝居を勤める・・・と このような旅行会が
以前は必ず開催されておりました。

今の猿之助さんの慰労会もこれに近いものがありますね。(笑)



この折の旅行会、猿翁旦那、段四郎さん、寿猿さん・・・あと誰がいたでしょう。
弥十郎さんがおられたなあ・・・
(ワンピース以降のお客様へ、弥十郎さんは坂東新悟さんのお父様です。
 以前はともに 私たちと切磋琢磨いたしました)


もう、役者側でも この熱海を知っている人は 少なくなっています。
猿之助さんでさえ、初舞台前のまだ3歳位。

先月の「ワンピース」の出演者の多くは生まれてません(笑)


そんな昔の物語ですが、まだまだ 物語は続きます。

2月梅田コマ劇場の公演 3月旅行会のこの疲れた体を引きづって 
いつもよりは10日も早い『伊達の十役』の公演のお稽古に
さらに東京へ呼び出されるのです・・・。

                      つづく

さあ、いよいよ東京での『伊達の十役』でのお稽古が始まります。