3月11日 あれからもう7年ですか? そう東日本大震災からです。

被災地の方はもう7年、なんて気分にはなられないでしょうが・・・。


私はちょうど、京都南座に於きまして おもだかや一門の『獨道中五十三驛』に
出演しておりました。

楽屋で、三幕の雲助逸平から大詰めの大敵、赤堀水右衛門に 
お化粧替えをしている最中、かなり揺れましたので震源地が京都に近いかな? 
と 思っておりましたらその後、ニュースで震源地は東北、と聞き
「え?震源地が東北で、それでもあんなに揺れたの?? それなら東北は?」と

その時間あたりには、速報だけが流れており 詳しい事はわからずじまい。

夜になりまして徐々に色んな映像が ニュースで放映されました。
ニュースを見るたびに唖然としまして 言葉も出ませんでした。


私、恥ずかしながら≪津波≫と云うものを誤解しておりまして 
あんなにジワ~っと 波が押し寄せ 建物や道路などを破壊して行くのだとは
思いもよりませんでした。逆に恐ろしかったですね。


今はスマホやビデオなどでも 映像が簡単に撮れるので 津波の実態が
その場で撮ったものとして、残って行くのが不思議に思えます。


今日のお昼のテレビは、その時の震災の特別番組ばかりが
放送されておりました。
あの時を忘れないように・・・との配慮からでしょうか?


この時、家人も京都に来ておりまして 東京での難を逃れたのですが、
東京もかなりの被害がでたそうで 歌舞伎座 国立劇場などの出演の人たちは
帰宅困難者になったそうです。


南座の3月の公演が終り2週間後に、うちに帰りましたらCD棚は倒れ 
家具も一部が崩れており 震災の大きさを物語っておりました。

幸い南北に揺れたみたいで、うちのテレビや家具は大体 
東西に配置してあるのが功を奏し それほど大きな被害では
ありませんでしたが、上に置いてあったものはいくつか落ちてました。
しばらくは一部の食料品や飲料水を購入するのも大変でした。

京都の荷物などは会社が用意した配送車で歌舞伎座まで
帰って参りましたが、宅急便などは大幅遅延もあった模様。

そんな情報もありましたので京都で多少飲料水や非常食を買い求めて
持って帰りましたのも 思い出でしょうか?


7年も経つと、その時の苦しさを忘れてしまいますが、被災地の方は
未だに震災の爪痕が消えてはいないのでしょうね。


私、阪神淡路大震災の時は、東京公演で東京に滞在しており
東日本大震災の時は京都に居りました。

実際に大きな揺れと云うのは ほとんど体験したことがなかったのです。


2年前の4月 熊本大地震の時には私は『ワンピース』博多座公演で
夜はホテルに居り これはかなり揺れました。
この時が震源地に一番近かったでしょうか?


この公演で熊本からの交通網が途絶え お客様がお越しになれない空席が
かなり目立ちました。
震災の被害と直に接したのは、この時が初めてかも知れません


震災はいつ起こるかわかりません 
ある程度復興した時にこそまた思い出すべきだと思います。
のど元過ぎれば・・。にならない様に 改めて気持ちを
引き締めて行かなければならないと 今日の日を思いました。