今週も朝8時、NHKの『わろてんか』を楽しく見ておりました。

実は、3日間伊豆旅行に 行っておりました時も
他のテレビ番組は ニュースを含めて 一切見ていなかったのですが、
この『わろてんか』だけは、リアルタイムで見ておりました。(笑)


時代背景もいよいよ昭和14年 中国での戦火が増して来て
兵隊さんたちの戦気高揚のために 北村笑店の笑いの精鋭たちが、
「わろてんか隊」として上海へ戦中慰問に行くお話しでしたね。

笑いの中に、次の日には戦死された兵隊さんのお話しも・・・。


これ史実では 北村笑店のモデルになっている吉本興業が、
当時「わらわし隊」として、エンタツ・アチャコさんたちを、
実際に上海に戦中慰問として派遣しておられます。

それが今週の『わろてんか』のお話しになって来ております。


実はこの当時 お笑いの世界だけではなく 歌舞伎やタカラヅカも、
戦中慰問に行っているのです。


そしてこの話、私にとっても無関係ではございません。

昭和14年初代中村吉右衛門丈が、今の韓国の京城(ソウル)を
訪れて歌舞伎公演が行なわれました。


その際、この時の公演がご縁で私の父が
京城(ソウル)で吉右衛門丈に弟子入りを致しました。

この話は以前にも書いたことがございますが、
実は父の死後、このあたりの詳しい事が全く分からず、
悔しい思いを致しました。

軍部の方が、当時京城の日本人町の劇場で子役として
舞台に立っていた父を何度も見て知っておられ、
歌舞伎の人が来ると云う事で、「こんな子がいる」
と云う形で、口をきいてくださって、ご縁ができた。

この程度の事しかわかりません

が、それがきっかけで 当時13歳だった父は、
ひとまず単身、吉右衛門丈の一行と共に 日本に参ります。

祖母や父の一族は のちに日本に引き揚げてきたと云いますから
暫くは、父は単身東京で内弟子として居たことになりますね。


歌舞伎の公演がなかったら・・・あったとしても 先代の吉右衛門丈
とのご縁がなかったとしたら・・・。

嵐冠十郎という歌舞伎俳優は 生まれなかったでしょうし、
おそらく私と云う人間自体も 存在しなかったと思います。(笑)


昨日に続いて、不思議な縁だなと思います。


毎朝『わろてんか』を見ながら、場所や設定は違いますが 
父たちと同時代を生きて来られた過酷な時代背景に胸が
熱くなります。


来週はいよいよ太平洋戦争へと突き進み 笑いや歌舞伎は
さらに過酷な時代を迎えると思います。


物語の中の台詞のように、何もない苦しい時代だからこそ 
笑いや娯楽が必要となる、とございました。

先人たちの決意にも似た根性が 現在の漫才や落語 
歌舞伎やタカラヅカを 作り上げてきたのだなあ~と 
改めて感じました。