『市川猿三郎二輪草紙』のブログを開設してそろそろ、10年を
迎えようとしておりますが、ここ最近からのご訪問の方も、
多く見受けられるようになりました。

私自身 読者の皆様に こんな事 こんな言葉 こんなシステムは
もうすでにご存知だろうと、先入観のように文章の中でわりと割愛することが
多くなって来ましたね。


コメント欄におきましても 初歩的なご質問を時々お寄せ下さる事もあり 
そこで今回は「名題」と云う立場を少し 振り返ってみようかと思いました。

何年もご愛読の方は、重複したブログになるかも知れませんが
少しお付き合いくださいませ。



子役時代を経て私が、歌舞伎を職業としたのは昭和47年(1973年)19歳の時。

関西在籍から おもだかや一門に加えて頂きましたのが、平成元年(1989年)
この時に「嵐延夫」から「市川延夫」に改名致しました。

もちろん関西在籍当時から猿翁旦那のお芝居のレギュラーではありました。(笑)


そして名題に昇進しましたのが、平成10年(1998年)。

市川猿三郎を二代目として襲名しましたのが、平成20年(2008年)
おもだかや入門から30年、ちょうど10年ごとの節目となっております。


名題と云うのは・・・。と 名題の説明に入る前に・・・。

一般から、この歌舞伎の世界に入るためには お師匠さんを選び 
誰かのお弟子さんにならなければなりません 

一番最初は見習いで、本来は舞台に出る事ができないのです。

そりゃそうですよね。お化粧の仕方もわからず 舞台に出ても
何をどうしていいかもわからない。

何年かは、大部屋俳優として暮らして行かなければなりません

ここから役者のスタートですが、ご主人の舞台のお手伝いをしながら
舞台ですべきことを覚えて行きます。

着物の着方だったり 舞台での所作だったり 立ち役なら立ち回りのお稽古 
とんぼ返り 踊りのお稽古 三味線や唄のお稽古・・・等々。

合間の時間はこれらに費やされます。


一応 お師匠さんから名前を頂き ひとかどの役者として「名題」と云う
地位の試験を受けるには歌舞伎に所属してから 目安として最低10年以上は
舞台経験を積まねばなりませんが、10年ではほとんど名題試験を
受験することは出来ないでしょう。


私は何回も不合格だったこともあり 名題に昇進しましたのは
歌舞伎に入って 25年の年月が過ぎておりました。(笑)


今でこそ名題下さんでも台詞をもらえたりしますが、私の若い頃は
一言の台詞を貰えるまでにも何年もかかりました。



名題試験とは、直接の師匠のお許しを頂き 推薦状を書いてもらい
2・3年ごとに開催される試験の事です。

歌舞伎に関する知識の筆記試験と 大幹部さんたち協会理事の
10人ほどの方の前で 歌舞伎の演目の実技を一人一人行い 
その試験に合格して初めて 名題になる資格を得たことに なります。

その後 俳優協会会長より名題適任証を授与して頂き 公演で名題披露をして
文字通り「名題昇進」となります。

名題適任証を頂いたまま、披露をしない方もおられます。
この場合は少々ややこしいのですが、名題適任証は持っておりますが、
披露をしていないということになりますので、身分的には名題下。

ですが、普通の名題下と全く同列と云うわけではございません。
そのあたり気になられる方は 毎年売り出されております「歌舞伎手帳」を
見て頂きますと、その違いは一目瞭然だと思います。


そんな差のある名題と名題下。

大部屋(=名題下)の時は、来月の与えられたお役が お稽古の時に
巻紙に書かれた役が 廊下に張り出されます。

師匠の都合や特別な時以外は お役は断る事ができません 


その点、名題になると来月のお役渡しが事前に直接 会社から連絡を頂け 
気に入らなければ 原則断っても構いません 

楽屋も大部屋から 劇場によりますが歌舞伎座でしたら
3~4人位の名題部屋に移り 名前入りの暖簾をかけても構いませんし 
座布団も敷く事ができます。

名題下は本来座布団すら敷けません


また筋書きに勘亭流での名前も掲載され 京都の顔見世でしたらまねきと云う
自分の名前を劇場の櫓下に掲げて下さいます。


昔は、名題にならないと台本も貰えませんし 名題になれば弟子もとれ 
付き人を使っても良かったのですが、さすがに今では名題でお弟子さんは
とれませんね(笑)


今は大部屋さんもだいぶ優遇されるようにはなって来ましたが
それでも正直 歌舞伎の世界は上下の世界でもあります。

いずれにしても、会社 お客様からある意味歌舞伎役者として認められるのが
名題と云う地位です。