昨日のブログ、うっかりコメント欄を開放することを忘れており、
コメントを下さろうとされたお客様にはご迷惑をおかけ致しました。

今朝方、気づきましたのでまた、コメントをお待ち致しております。

さあ、昨日とうとう『陸王』の最終回も終わってしまいました。
感動的な最後でしたね。(笑)

とても感動して いい気持で物語を見終える事が出来ました。

さて、今日はクリスマス。

さすがに歌舞伎の演目の中で、クリスマスが登場する事は
ないと思いますが、皆様はどう思われますか?(笑)

ここで質問です。

歌舞伎にクリスマスが登場した事が・・ ある! or ない!

さあ、どっち?






正解は・・・・ ある!


このお芝居 サンタのおじさんも登場します。(笑)

これが分かった方はかなり通!




実は歌舞伎座で上演されたました、答えは?


勘三郎さん主演『野田版 鼠小僧』

クリスマスの夜、雪の降る中、みなしご三太と、勘三郎さんの棺桶屋の三太!(鼠小僧)

小判を降らせる事を約束したのですが、捕り手に捕まった棺桶屋の三太は
、みなしご三太に「サンタのおじさん!」

と、呼ばれました。(笑)


小判は降らせられなかったけど 朝日に変わる中 雪がキラキラ輝いて、



クリスマスと言えば、やはり期待しますのがホワイトクリスマス
クリスマスには本来 雪が降ってほしいもの。

クリスマスのみならず、大阪生まれ、現在は東京の私には、
雪はやっぱりワクワクするものです。


この後は、その雪と今月のお芝居「瞼の母」に、まつわるお話です。


私、初舞台は宝塚大劇場で演目は「無法松の一生」 
それが宝塚新芸座公演であった事は もうすでに何回も
書かせて頂きました。

その新芸座公演で昔「南の島に雪が降る」と云う演目が
上演された事がございました。 

原作は、映画などでの名優 加東大介さん 

長門裕之さん 津川雅彦さんの叔父さんにあたられます。 


この方は二代目市川左團次さんに入門され 戦前は前進座に
所属されて市川莚司と名乗って居られましたが 太平洋戦争最中
昭和18年、召集されてニューギニア戦線に配属されていました。

ですが敗戦濃厚となって来た南の島の部隊。

主力部隊からは見放され 救援物資も届かない最果ての地、
マラリアなどで兵士たちが、どんどん倒れて行く中 上官から

「何とか兵たちの士気を鼓舞して 兵たちに安らぎを与えよ!」

と、役者の経験がある軍曹の加東大介さんに命令が下りました。



兵たちはいつ戦線に出て 死んでいくか?わからない毎日。

加東さんは軍隊にある有り合わせの物で かつらや衣裳を作り
急ごしらえの小屋を作り 役者やお芝居の経験のある兵をつのり
舞台で色んなお芝居を上演したそうです。

色んな部隊が毎日 代わる代わるに見に来て 泣いたり笑ったり
そんな中「瞼の母」や その他のお芝居などの劇中に
パラシュートを細かく切って 舞台に雪を降らせたそうです。

本来「瞼の母」では雪は降りませんが、最後の土手の場面で
母や妹が忠太郎を探しながら 呼び続ける場面に雪を降らせたそうです。
 
南の暑い島で、兵士たちのどよめきが起こり 毎回お芝居は大当たり。


ですが、ある日の事 加東さんが「瞼の母」の番場の忠太郎の
最後の場面に出て行こうとしたら 数百人いる兵士たちがシーンと
静まり返っていたそうです。 

「おかしいな?」と思って思わず袖から覗いてみたら 
全員が涙を流して泣いていたそうです。

あとから聞けば彼らは東北の部隊であったとか・・・。
南の島で雪を見て 思わず本当に感激したのでしょうね。


かくして、日本へ帰還するまで毎日 休みなしでお芝居を
上演していたそうです。



後年これが実話として 映画やお芝居になり 私も子供の頃 
この映画や新芸座での「南の島に雪が降る」の公演を見た事がございます。

私の父がこれに出演しており 兵士ながら女形のお役でした。(笑)

生命にかかわる究極のニューギニアの最前線で上演されたお芝居。

見られた人は 日本の心に本当に感動されたでしょうね。

お芝居の感動は、その演じる人の心意気で いつでも どんな所でも
お客様の気持ちとマッチすれば 端てなく拡がるのです。

今日は雪と「瞼の母」にかかわるお話でした。