最近 今日は・・・で、始まるブログが多いのですが・・・(笑)

今日は、天皇誕生日。

余談ですが、私 天皇陛下を目の前で拝見したことがございます。
と云っても天覧歌舞伎等 仕事でお会いしたのではございません(笑)


ずいぶんと前の事ですが・・・

たまたま私の住んでいる板橋の交差点で信号待ちを致しておりますと
いつまで経っても赤信号が青に 変わりません

「おかしいな?」と 思っておりますと目の前の道路 
いつの間にか1台も車が通らなくなり そのうち高速道路から
白バイが2台 先導して 下りて参りまして そのあとを
数台の黒い車が目の前を通り過ぎて参りました。

その何台か目に、陛下が車の窓を開けられて 手を振りながら
にこやかに笑っておられました。

まさかお昼のそんな時間に ここを通られるとは
誰も思っておりませんでしたので、歩道には誰も居らず、
信号待ちの横断歩道に私一人だけでした。

ほんの目の前!

普段着の私をご覧になられた陛下は手を振って下さり 
私は思わず最敬礼でお辞儀をしておりました。(笑)

アッと云う間の出来事でしたが 私はとてもびっくりして
体が硬直してしまいましたが、思いがけないご対面で 
とても良い記念になりました。(笑)

後から聞きましたら 陛下が通られる道路だけが青信号で、他の車をストップさせて ときわ台の日本書道美術館へ 訪れられる途中だったみたいでした。

お話を元に戻します。(笑)


再来年、ご退位されて上皇となられる日も決まっておられます。
最近では珍しいという事ですが、歴史などではよく聞きます。

後鳥羽上皇、順徳上皇、土御門上皇。
私の中では、平安時代や鎌倉時代のイメージです。


上皇と云う名称は、いつが最後だったのでしょうか?

調べてみますと、江戸時代 光格天皇が退位されて
上皇となられたとか。
ちょうど200年くらい前の事ですね。

最初の上皇は、1300年以上前の持統天皇です。
(退位した初めての天皇ではありません。
 呼称としての「上皇」の最初です)

持統天皇と云ってもピンときませんか?

歌舞伎に寄せて説明いたしますと『桜の森の満開の下』で
「オオアマ」として染五郎さんが演じていた皇子。
それが後の天武天皇、その奥さんが持統天皇です。

もっとも、当時の制度と現在の皇室典範、そして特例法とは
微妙に違っておりますので、同様に述べるのは難しいですが。



歌舞伎に於きましては天皇と申しますと、
これはよく登場致します。

皆様ご存知の所では、『義経千本桜』に登場致します安徳天皇。

それにスーパー歌舞伎ですと『ヤマトタケル』の帝、これは景行天皇。

また『義経千本桜』や舞踊『船弁慶』に登場致します平知盛は、
謡の中で「桓武天皇九代の後胤」と 唄われております。

また、色んなお芝居の中の台詞の中で、珍しい事を云うのに、
「神武以来 珍しき願いじゃの?」などと使います神武天皇は、
一応初代の天皇とされております。

所謂、平氏、源氏とは桓武天皇以来、天皇の子供や子孫から
発している血筋。

もともとは、とっても身分の高い天皇家に近い臣下だったわけですが、
時代が下るに従い、人数も増え、孫、ひ孫、玄孫・・・と
血統的にも遠くなってしまいますので、地方に土着して、
武士として名を立てて行く人が 増えて参ります。

ちょっと難しい話になりましたが、古くは天皇に近く、
時代が下ってからは 武士として活躍するわけです。

この時代が主流の歌舞伎には、お話として大変多く出て参りますね。


ちなみに私はこのあたりの制度など詳しい事は 
あまり明るくありませんので
例によって、聞いたり調べたりしてみたのですが、
天皇から出ている他の姓にひとつ 興味深いものがありました。


それは「在原」

そう、在原業平・在原行平の在原です。
『蘭平物狂』にも出て参りますね。
これも、桓武天皇の曽孫、平城天皇の孫から出た姓です。

歌舞伎の中の天皇と云う視点で書こうと思って調べ始めましたが
予想外に、今月の歌舞伎の舞台にまで たどり着きました。

天皇誕生日と云う事で 興味をもって調べ始めた今日のブログ。
思いがけない発見もございました。

何はともあれ、上皇となられてからも ますますお元気で
居られて欲しいものです。