1988年9月18日~25日まで、渋谷パルコ劇場におきまして、
21世紀歌舞伎組の初公演として『伊吹山のヤマトタケル』が
上演されました。

このお芝居はスーパー歌舞伎の『ヤマトタケル』の
本公演では上演されなかった部分の、タケルとみやず姫の婚礼の件と
伊吹山の鬼の戦いの件をかなり拡大したお芝居でした。

その後 逆輸入の形で伊吹山のこの演出が 本公演再演の時に
少し取り入れられるようになりました。


この『伊吹山のヤマトタケル』のお稽古が、猿翁旦那の本宅があった
軽井沢で弟子一同 合宿の形で始まりました。

およそ3週間から1か月。お稽古場に弟子一同が寝泊まりして
お昼の12時過ぎから、夜の11時頃までず~っとお稽古と云う
かなり厳しいお稽古の形態ができてしまいました(笑)


間で昼食としては毎日、のびたそうめんでして・・・。

そうめん できた時点でお稽古 終わりませんからね。(笑)
キリの良い所まで行くと いつもそうめんができてから
1時間は優に過ぎていました(笑) 

私は今でもそうめんよりもひやむぎが好きなのですが、
もしかしたら、この折ののびたそうめんに、トラウマがあるかもしれません



夕飯はお稽古終了後に 猿翁旦那以下 全員でお稽古場で頂きました。
もちろん10時か11時過ぎからの夕飯です。(笑)

この夕飯はお酒も羽目を外さなければ飲み放題で
お料理もかなり豪華なものでした。

ただし旦那のお話 監視の目 教訓付き(笑)



この『伊吹山のヤマトタケル』のお稽古がきっかけで毎年8月は、
翔の会や9月の新作のお稽古を兼ねて 夏期講習の様な形で
合宿稽古が始まりました。

1990年は、雪之丞変化2001年。9月6~24日 パルコ劇場。
1991年は、第3回世界陸上東京大会 8月23日開会式、演出市川猿翁。
1992年は、9月1・2日 第1回笑也の会『朝顔日記 藤娘』前進座劇場。
1994年からは毎年『翔の会』のお稽古 開催日はだいたい8月の末。
1997年は、8月19日には、独立したお稽古場 天翔館完成 記念試演会。
2001年は、8月24~26日は『祝祭劇 佐久夜』


1996年から2000年2月は、猿翁旦那の国立劇場春秋会の
お稽古も入って来て 2月も初日前までは軽井沢に全員集合となりました。


2003年に猿翁旦那が病に倒れるまでの毎年8月は、
ほぼ 軽井沢へ合宿稽古に行っておりましたね。

その間 約15年間。


稽古場では一つ屋根の下に21世紀歌舞伎組 私たち個性的な男ばかりが
30数人! 生活パターンが全く違う人間たちですからね(笑)

稽古が終わって夕飯後 酒を飲みたい人もいたり 煙草を吸おうにも
表にでると外は蚊だらけ・・・(笑)


テレビもなく 野中の一軒家のプレハブで、稽古場の大広間に
布団を敷いて 枕を並べて寝るのもひと苦労でした(笑)

イライラがつのって来ますと ささいな事で喧嘩もおきますし、
朝ゆっくり寝ていたい人 朝早く目が覚めてしまう人。

当時は携帯電話もなく、近くの公衆電話ボックスへ電話をかけに行くも
相当な距離があり 車がなければ行けませんし お稽古の合間に
電話をかけに行くと云う訳にも行きませんでした。

車を持っている人がうらやましく、私がバイクの免許を取得したのも
これがひとつの事情だったかもしれません。(笑)


新お稽古場 天翔館完成の折には おもだか会の旅行会の一環として
このお稽古場をご披露する目的で、お客様ご観劇の試演会が行われました。

歌舞伎の一場面づつを紋付き袴で、色んな配役で上演致しました。

私は『伽羅先代萩』の対決の細川勝元他と 旦那から与えられた課題として
「30分くらいの一人芝居を何かしなさい?」と云われまして
独自の解釈で、シェークスピアのマクベスから黒沢作品の『蜘蛛巣城』を 
自作自演でおもだか会の皆様の前で ご披露しました。(笑)

故に おもだか会の、古いお客様はこの軽井沢のお稽古場の地を
訪れられ 試演会のご様子もご存知かも知れませんね。

踊りのお稽古の時も、「もう一回、もう一回、」と何十回も繰り返され 
猿翁旦那があくびを噛み殺しながら見て下さった澤五郎さんとの
翔の会の「三社祭」

よっぽど、下手でつまらない 踊りだったのでしょうね。(笑)
よく我慢して 指導して下さいました。

これは一つの例ですが 本当に15年の間に培ったこの軽井沢お稽古場の
お稽古の積み重ねには意義深いものがございます。



2003年猿翁旦那が病に倒れられてから、旦那自身ここへは帰られず 
この地に弟子一同が集まる事がなくなりました。

それからはただ 荒れていくだけのお稽古場をどうしようもなかったのですが
それからでも10年以上が経ってしまいました。

今日 なぜ、このようなブログを書いたのかと 申しますと、
昨日 段之さんからラインとある場所の写真を送ってくれました。


もう2年ほど前にもなりますでしょうか?

中車さん 猿之助さんが 冬の時期の寒い軽井沢にては
もう戻られないであろう、と 猿翁旦那のお体の具合を心配され
東京都内へ全面的に引っ越されました。

その時に軽井沢の本宅や、このお稽古場も全面的に手放されました。

私も、引っ越される前の稽古場の場所へは伺えませんでしたが、
昨日 私に送って下さった段之さんからの写真は、
中車さんから送られてきた写真でして この地にその後 
建設されました施設が写っておりました。


送って下さった写真は、その施設のご了解を得ておりませんので
掲載することは叶いませんが、15年もの間 頻繁に通っていたお稽古場。

なんか感慨深いものがあり、振り返ると『伊吹山のヤマトタケル』の
お稽古で初めて軽井沢へ訪れてからもう、30年近くになるのですね。


ひとつの出来事が ある歴史を終え そこから次の歴史へと引き継がれ
また新しい歴史が芽生えます。 


私たちの汗と忍耐と苦渋、そして新しい作品の目覚めや進化を
すべて見てきたお稽古場は、新しい道を歩み出しました。


今と昔、これまでとこれから。

その中のひとりの目撃者であり 体験者であったらいいなあ~と 
思った次第です。