今日のブログは先日の、しまなみ海道の途中の村上水軍のお話。

和田竜さん作『村上海賊の娘』は、まだ豊臣秀吉が大坂城を建てる前の大阪が舞台。

ご存知の方も多いとは思いますが、大坂城が建築される前、
あの大坂城の広大な土地は、いったい何だったか?

あそこには、浄土真宗の顕如が住職を務めていた大坂本願寺がございました。

村上海賊のお話はまさに、その顕如と織田信長との争いの最中での
水軍と水軍の戦いを描いております。


織田信長の船と兵に、大坂湾河口の木津川を押さえられ 
兵糧攻めを食らわされている大坂本願寺の僧たちが、
紀州の雑賀衆に助けを求め そこから中国の毛利勢と村上水軍の力を借り 
兵糧と人を運んでもらおうと云うお話。

その主人公である村上海賊は一応 三つの大きな一族に分かれておりました。

因島村上、来島村上、そして お景が活躍します、
能島(のしま)村上海賊。

その本があまりにも、面白かったので 屋島同様 
是非 その土地へ行ってみたいと思いました。

そこでもやはり、現地に来て見ないと分からない事が山ほど・・・。

まず、この時代 村上水軍の活躍していた場所をご覧下さい。

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地図はグーグルマップを使わせて頂き、一部加筆しました。


まず驚きましたのが、以前にも書きましたが 瀬戸内海と云うと
私は大きな内海と云う印象でした。

しまなみ海道と云う大橋は、大きな海を渡る橋と思っておりましたが、
その海峡のひとつひとつは、いかに狭いか?よく分かりました。

逆に言いますと大型船などの運航の、このあたりの交通は
大変 難しいのだろうな、と思いました。


そして毛利家に所属している村上家。

所属と云っても家来ではなく 独立の採算を得ておりました。
それはこのあたりを通ります船の通行料と、逆らうものは
独自に制裁を加えると云う まさに海賊(笑)

このすべての海峡を押さえ 通行料と水先案内を糧にしていたそうです。

その本拠地と云いますのが しまなみ海道のかかります、
伯方の塩で有名な伯方島と大島

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その間に、能島村上海賊の本拠地 城がありました能島です。

上から見ますとこんな形をしております。
(写真もグーグルマップから)

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鵜島と云う少し大きな島の横に点在します二つの島。
かなり小さな島ですが、島全体が要塞になって居たのは 以前にも書きました。

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能島と鯛崎島 この二つの島の向こうに見えますのが、
大島で私たちが宿泊した民宿のある処です。

この二つの島は、本の中ではつり橋の様なもので結ばれており
行き来は自由だったと云う設定でした。

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こんな小さな島を拠点にしていた村上氏が、瀬戸内海に君臨していたとは驚きでした。


今でも水軍の拠点として 多くの人が訪れるのだそうです。

この鯛崎島の南側はかなりの潮流で 現在の船でも
かなり力のあるボートでないとその潮流に巻き込まれてしまいます。


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ここの体験をしましてから、大島より今治まで約30km。 
来島海峡大橋を渡る、しまなみ海道サイクルロードを
走ったと云う訳でした。(笑)

海の難所を舟で感じ、陸の難所を足で感じました。
ですが現在のエンジンがあり、橋があり、自転車が有る中でも
この苦労だったわけです。

人力、風だよりの時代、そして島をつなぐのは舟。

ですが、実際に体験しなくては感じられない事は
本当に多いものです。