7月大歌舞伎公演 昼の部の切りは、海老蔵さんと巳之助さんの
舞踊『連獅子』が上演されております。


今月の筋書の後ろの方のページ、上演記録を見ましても
その回数は他の演目に比べまして 圧倒的に多いですね。


獅子は我が子を千仭の谷へ突き落とし、這い上がって来た子だけを育てる
・・・と云う 所謂、昔からの伝説ですが これを舞踊にしたものです。

ご覧になって居られるすべてのお客様が理解できると云う 名作舞踊でしょうね。


ですがこの獅子は現実のライオンではありません
ライオンは平原で暮らしておりますから 谷のあるようなところへは
あまり行かないでしょう?(笑)

これは中国とインドの国境あたりの奥深くに居るとされる霊獣の獅子です。

どこまで行っても物語ですから 登って来る逞しい子を想定しておりますので、
登って来られなかった、死んでしまった子獅子は想定しておりません

ここを間違えると、すごく残酷なお話となってしまいます(笑)

それだけ子供を育てるのは厳しく また必ず登れるようなフォローが大事!
と云う意味あいですね(笑)



この舞踊の 間狂言も通称『宗論』と云われており、見所満載の間狂言です。

宗派の違うお坊さんが 道連れになって、途中でお互い議論を交わし合いますが 
熱弁のあまり お互いがお経を取り違えてしまうと云う 笑い話のような舞踊(笑)

ですが、日本ですからこれが笑いで済みますが、ヨーロッパ辺りですと
戦争にもなりかねない題材でしょうね(笑)

日本文化は優雅です。



この『宗論』私も2011年11月博多座と2013明治座と、
過去2度ほど、勤めさせて頂きました。

筋書には過去の上演記録として 名前が掲載されているのがうれしいですね。


ですがこの記録には残って居ないのですが、私がのこの『宗論』を
勤めさせて頂きましたのは、さらに以前。 

渋谷セルリアン・タワーの能楽堂で上演されました『連獅子』で
右團次さんと弘太郎さんのコンビ、『宗論』は、私と猿四郎さんでした。

2006年9月27日、たった1回だけの特別上演で お客様は
一般の方ではなくテレビ朝日のVIPの面々。(笑)

それに能楽堂ですからお客様との距離も近くて 
かなり緊張した覚えがございます(笑)


ですが、この時が初役ではございません。

『宗論』の初役と云いますと それよりもさらに遡り 
1990年7月22日。

時はバブル。
ですが、もうそろそろ陰りがそこかしこに 見え始めていたころ?
かもしれません。


旧歌舞伎座では、1日だけ本公演の前に子供歌舞伎と称しまして 
朝9時から 小学校のお子さんと親御さんとの歌舞伎鑑賞教室が
催されておりました。

この時に演じますのは、本公演の本役の方々ではなく 私たち若手。
若手の勉強の場と、小学生のお勉強の観劇が一緒になったものです。

親獅子を信二郎(現錦之助)さん、子獅子を右近(現右團次)さん。
宗論が 今は亡き猿十郎さんと私が勤めさせて頂きました。


今ではこういった催しは なかなかできませんが、
また機会がありましたら 再度やって頂きたいとは思います。



夜の部は『天竺徳兵衛新噺』で20日の終演後、夜10時頃より
初日通り舞台稽古でした。

この時、私 連日の公演の疲れもあり運悪く 夏風邪をひき 
かなりの高熱で 舞台に立った覚えがございます。 

ですが相方の僧侶は 私にとりまして悪友でありライバルの 猿十郎さん

22日の当日朝の公演 初役で負けてたまるか! 
と云うような意気込みで フラフラになりながら勤めた記憶がございます。

でも 倒れなくてよかった!(笑)



もちろん その後は本公演でしたので、休むことなく義務は果たしました(笑)

その都度 色んな思い出のある『連獅子』と『宗論』

親獅子と子獅子には、
猿翁旦那と段四郎さん
猿翁旦那と猿之助さん
段四郎さんと猿之助さんといったコンビ。

上演回数の数だけコンビがあり そこに色んな物語がございます。

海老蔵さんが勸玄くんとで『連獅子』を踊られるのも 
そう遠い日ではないかと思います。 今から楽しみですね。(笑)