私が生まれたのは、大阪の住之江ですが、
物心つく頃には ミナミの黒門市場のすぐ横の
現在の中央区日本橋2丁目、旧名、高津町(こうづちょう)に
住んでおりました事は 今までにも何回も書かせて頂きました。

1つ2つの時に住之江からミナミの大和町に引っ越し さらに8つの時に
ここ高津町へ引っ越しまして25年ほど住んでおりました。

ですが、歌舞伎の世界に入りまして仕事の関係上 どうしても
東京へ移らざるを得なくなりました事は、本当に残念でした。

しかし大阪公演の時間のある時などには時々 このあたりを訪ねて居ります。


私が住んでおりました時は、昔の住宅がたくさん並び
自宅のありました処などは せまい路地の中へ入って参りまして
その路地を挟んで向かい合わせに5軒ずつ 計10軒の家が並んでおりました。


それぞれが独立した住宅ではありましたが、造りは所謂 長屋。

町内会みたいに、住んでいる人が全部顔見知りと云う、今の都会にはない形。
ですが、あの当時は それが当たり前の空間でした。


私が小学校当時には このうちの7軒くらいの家庭で
同じくらいの 子供がいて 町内で色んな遊びをしながら 
それは賑やかでしたね。

映画の『三丁目の夕日』に出て来るような風景です。(笑)


私の住んでいた処は借家でして、近くに大家さんが居られ 
ひと月に一度 父から預かったお家賃を持って行くのは、
私に与えられた仕事のようでした。(笑)


現在はこの路地も潰され、近くのアパート 銭湯などの敷地一帯に
大きなマンションが建っております。

風景は一変しましたが、所々の居酒屋やお店など、断片的に昔ながら
細々と営業しているお店を見つけては郷愁にかられます。


向こう三軒両隣の空間もなくなりました。

以前の様なそんな味わいのある世界は、もう戻らないのでしょうか?



今日の写真は、私が今月勤めております大家さんの長屋の面々です。
 
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向かって左から按摩いぼ市(錦弥さん) 瞽女お鈴(芝のぶさん) 
小按摩寒竹(福丸くん) 女按摩お市(右若さん) 按摩木我(左升さん)
の、盲長屋の住人たち。

「大家と云えば親も同然! 店子と云えば子も同然!」

同じ場面には登場致しませんが、この面々のもめ事などには 
大家さん さぞ色々と相談に乗っている事でしょうね。(笑)

実際に舞台上でもめ事が起こっておりますので 恐らくあの後には
私大家の出番となりまして 丸くおさまっているでしょう。


今の賃貸マンションなどでは、オーナーなどと申しますが 
そのオーナーが個人的に出て行って 賃貸の住人の相談に乗って下さるなど
ありえるのでしょうか? ないでしょうね。(笑)


オーナーと大家(おおや)

読み方は似ていますが 人情的にはまるで違う
今の世は何とも寂しいものです。(笑)

せめてもの、舞台の上では店子を思い、店子からは慕われる。
そんな大家でありたいものです。