今日は8月の『桜の森の満開の下』のお稽古はオフの日でして、
幕間に外出することなく 歌舞伎座にて昼夜の出番を終えました。


朝の出勤の時でさえ暑かったので、昼間の外出が控えられたのは
私にとってはとてもラッキーでした。(笑)とは云え 今日1日だけ!



今月の歌舞伎座「七月大歌舞伎」におきまして 市川右之助さんが、
市川齊入(いちかわさいにゅう)のお名前を二代目として、襲名されました。

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このお名前は、初代市川右團次さんの法名として用いられたものです。

初代右團次さんは、1916年にお亡くなりになられております。
二代目齊入さんは、この初代の曽孫さん。


今月の歌舞伎座の楽屋、実は1月に襲名された右團次さんがお隣の楽屋でして、
本来はお一人の方のお名前だった二つのお名前が 二つ並んだことになります。 

両方並ぶ事は今までなかったのですが、齊入と云う名札と、右團次と云う名札が
揃う事は、実に101年ぶりの事だそうです。


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初代右團次(初代齊入)さんは、幕末から大正にかけて活躍された上方の
歌舞伎役者さんで、「石川五右衛門」のつづら抜けを考案された事は、
あまりにも有名です。

今ではこのつづら抜け、ケレンの代名詞で、五右衛門だけではなく、
猿翁旦那の「天竺徳兵衛」などにも応用され 猿之助さんも何回か
挑戦されておられます。

ご覧になられたお客様も たくさん居られるのではないでしょうか?


今日の写真は、ご無理をお願いして二代目齊入さんにご登場頂きました。


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今回、襲名披露狂言として『盲長屋梅加賀鳶』海老蔵さんの按摩の道玄で、
同じ長屋の女按摩のお兼を勤められておられます。

後ろに見えます鏡台は、初代右團次(初代齊入)さんがお使いになられていた
貴重な鏡台でして、初代が亡くなられた後 早稲田演劇博物館に
寄贈されていたものだそうです。

今回 襲名されるのであればと早稲田演劇博物館さんからお使いくださいと
ご希望があり お借りされているのだそうです。

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この鏡台が残されていた事自体は、齊入さんもご存知だったそうですが、
思いがけない事だったそうです。

とても100年前の鏡台に見えない斬新な造りで、陶器を用いられ
正面にはご紋である逆三つ巴の紋が入って居ります。

齊入さん 出番前のお忙しい中 ご協力ありがとうございました。

そしてご襲名 本当におめでとうございます。