今日も歌舞伎座で、お稽古場と舞台を使ってのお稽古でした。
海老蔵さんと勸玄君の様子は、連日ニュースでも放送されておりますね。
『矢の根』『加賀鳶』『連獅子』のお稽古が終わり『駄右衛門花御所異聞』の
お稽古の間の夕方5時過ぎに、会社の方が見えての顔寄せがありました。
お稽古の間の夕方5時過ぎに、会社の方が見えての顔寄せがありました。
7月と云うのはおもだか屋一門にとりましても、意義深い月。
40年以上続いた猿翁旦那の7月の歌舞伎座公演、
その間にも 実に色んな事がございました。
40年以上続いた猿翁旦那の7月の歌舞伎座公演、
その間にも 実に色んな事がございました。
猿翁旦那の最後のご出演となったのが2003年。
この時の演目が、昼の部『妹背山婦女庭訓(蝦夷子館)』『桧垣』で
3つ目に、今回も上演致します『盲長屋梅加賀鳶』が出て居りました。
この時の演目が、昼の部『妹背山婦女庭訓(蝦夷子館)』『桧垣』で
3つ目に、今回も上演致します『盲長屋梅加賀鳶』が出て居りました。
当時は猿翁旦那の天神町梅吉と竹垣道玄、梅玉さんの日蔭町の松蔵。
(今回は海老蔵さんの梅吉と道玄 中車さんの松蔵です。)
(今回は海老蔵さんの梅吉と道玄 中車さんの松蔵です。)
夜の部は通し狂言『四谷怪談忠臣蔵』でした。
その後 玉三郎さんがこの後を引き継がれ 私も隔年で7月歌舞伎座に
出させて頂きました。
出させて頂きました。
私事ですが次の年、2004年7月は晴天の霹靂でした(笑)
昼の部『修禅寺物語』夜叉王は歌六さん 源頼家は門之助さんでした。
この時の私のお役、金窪兵衛 またその年のその他のお役で、
この次の年に私 初めて俳優協会賞大賞を受賞いたしました。
この次の年に私 初めて俳優協会賞大賞を受賞いたしました。
驚きましたね!
さらに驚いたのが・・・10年後(笑)
新生となりました歌舞伎座に初めて私が出演致しましたのが
3年前の2014年。
3年前の2014年。
おなじく7月公演で、中車さんの夜叉王の『修禅寺物語』
何と私、この時17歳の下田の五郎のお役でした(笑)
立ち回りで息が切れたのを覚えております。(笑)
立ち回りで息が切れたのを覚えております。(笑)
いろんな事が走馬灯のようによみがえる7月公演。
今日の写真は私の楽屋の暖簾です。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190630/11/enzaburou/0a/4e/j/o0300040014486088923.jpg?caw=800)
私が猿三郎を襲名した時、家人の親族が祝って作ってくれたものです。
この暖簾を歌舞伎座で掛けさせて頂くのは初めてでしょうか?
今まででも7月の歌舞伎座公演は、数々の出来事がありましたが、
これからも歴史は続いて行くのでしょうね。
これからも歴史は続いて行くのでしょうね。
そんな7月の公演がまた始まります。