一昨日のブログに於きまして、『名月八幡祭』の一幕二場に
登場致します猿弥さんの魚惣の主を紹介致しました。

その折に下手より登場致します小舟の船頭が、
おもだかや一門の弘太郎さん

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小舟で登場して 水面に突き出した座敷にいる 還暦を迎える魚惣の主(猿弥さん)を
からかって去って行きますが、おそらく船を滑らせているのは川ではなく 
当時拡大しました、運河を利用した水路かと思われます。

このあたりの詳しい事は、深川にお住いのまん〇さんに
伺ってみたいですね(笑)


江戸の下町 大川(隅田川)の東を南北に二分する小名木川。
その南側に位置するところが深川一帯でしょうか?

江戸時代 湿地帯であったここのあたりは、川を利用して様々な運河が作られ 
水路として船が盛んに利用されました。

深川八幡宮や木場は まさにそのど真ん中!

『名月八幡祭』の一幕二場のこの舞台は深川あたりの交通が、
水路を利用しているという なんとも言えない情緒を醸し出しております。

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これは 今にも出番を控え 弘太郎さんの船頭を待っている小舟の様子。 

笑也さんの美代吉を乗せて花道へ入ります船とは別で
ひと回り小さく これは舞台裏から人力で引っ張っております。

江戸八百八町 上方は八百八橋と云われておりますが、
歌舞伎のお芝居の中で 頻繁に小舟が出て来るのは
断然 江戸のお芝居の方が多いでしょうか?(笑)

上方のお芝居で こう云った小舟が登場する演目は
あまり思い浮かびませんね。

本来 江戸の運河や水路などに利用する船は小型で 
いわゆる猪牙舟(ちょきぶね)と云われておりました。
 
大川(隅田川)などで大勢が乗る屋形船と違い 船の舳先が
イノシシの牙のように見え 舟底が尖って居て小回りが利き
足が速いのだそうです。

ですがお芝居では底が尖っていては、ひっくり返ってしまいますので
平底に見える小舟です。

と云いますか・・・下の部分は本来水の下ですので、再現はできませんね。
そんな尖った舟底を持つ舟なんだなあと思いながら 読んで下さいね。


ちょうど、先週、先々週のトークショーの時に、歌舞伎座から御茶ノ水まで
車で参りました。

その時に通った「鎌倉河岸」や「竜閑橋」
今では車の流れが溢れる一帯になっておりますが 当時はあの辺りも
水路と舟が行き交っていたことでしょうね。


当時の面影をそれらしく見られるのも 歌舞伎の良い所。
八月はいよいよ 深川八幡祭の大祭ですね。