『熊谷陣屋』のお芝居の事に関しましては 過去に何度も
書かせて頂きました。

また上演されるにあたり そのご説明を致しますと 
どうしても重複してしまいますが、そこのところは
お許しくださいませ。できるだけ違う方向から書かせて
頂きたいと思います。(笑)


埼玉県熊谷市の駅前に、熊谷次郎直実の銅像がございます。
以前、巡業でこの地を訪れた時に写真もアップしたかと
思います。

熊谷次郎直実の領地であった熊谷市。

この地の学生さんたちは、この熊谷次郎を歴史的に
勉強することが必修なのだそうです。

この土地以外の方はあまり、熊谷次郎直実と云う人物を
ご存知ないお方も多く居られるでしょうね(笑)


そんな埼玉県に領地のある人が兵庫県神戸市が舞台の
『一谷嫩軍記』の主人公となって居ります。


都を源義仲に追われた平家一門は一の谷に陣を張っていました。
一の谷は三方を山に囲まれ、一方は海。

平家は源氏の軍勢は海からしか来られないと思っておりました。
つまり、天然の要害だったわけです。

この「一の谷」の地は現在の兵庫県神戸市須磨区。
一の谷町と云う名称が 今でも残っております。


そこを源義経が裏山の鉄拐山の崖を逆落としに下り 
平家の陣の 裏手から現れ平家を悉く打ち破り 
残った平家の兵は海に逃れ 四国の屋島へと落ち延びて行ったのです。


この時に熊谷次郎直実が 海へ逃れようとした平家の侍大将を
呼び返し、浜辺で戦い その後組打となりました。 

熊谷に組み敷かれ負けた侍がなんと16歳の若武者 平敦盛でした。

あまりの幼さに 熊谷は驚き逃がそうとしたのですが
敦盛は「一旦 敵に負けて逃げる訳には行かない 首討て!」と
迫り 熊谷次郎は味方が見てる中で仕方なく敦盛を討ちます。

この歴史的物語が、脚色されて今も上演される名作歌舞伎となった訳です。

『一谷嫩軍記』の「熊谷陣屋」の場面が始まりますまでには
こういう物語があった事を あらかじめご存知でないと、
この物語の本当のところは わかりません。

もっとも、すべて台詞などで語られておりますので、
このことを頭に置いた上で、聞いていただきましたら、
より一層 お楽しみいただけるのではないかと思います。


話を戻しましょう。

この義経が駆け下りた崖は、鵯越(ひよどりごえ)とも
云われておりますが この一の谷の鉄拐山と鵯越は8キロも離れて居り
事実 神戸市兵庫区に鵯越町と云う名称もございます。

どちらが正しいのか?どうなんでしょうか(笑)

ま、義経が駆け下りた元の場所がどこか? と云う事は現在では
あまりあてにはなりませんが、源平の戦いの場所が
今でも訪れられると云うのは 歴史好きの私には大きなロマンを感じます。


何度も上演されている演目だからこそ、より背景を知った上で見たり、
実際に、物語の舞台になった場所を訪れてみたり、
色々な楽しみ方が出来るのではないでしょうか。