私のブログに梅若丸、松若丸の右近ちゃんが登場すれば、
次の日はやはりこの人、右團次さんですね。(笑)

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猿島惣太 実は淡路の七郎 変じてのちに七郎天狗となります。

お芝居的には序幕、男女蔵さん扮する吉田家家老 淡路前司兼成の
息子と云う 位置づけになります。
ご覧になられました皆様 このあたりは 聞き取れましたでしょうか?
台詞の中で説明しておりますが、男女蔵さんの息子なんですよ。


今回のようなお芝居、このくだりは 一般的に「因果もの」と云われております。

梅若が諫言によったとはいえ、してはいけないことをしてしまい、
その咎で自ら(あの年齢ではこのあたりは 微妙ですが)家を出て、
その罪を 家老の男女蔵さんが 死を持っておさめます。

そしてその梅若を 家老の息子が知らなかったとはいえ 殺してしまい、
その直後に、吉田の家の事、父の顛末を知ります。


まさに因果は巡る・・・



これら因果ものの結末を 昔の世の中ではよく見習っていて
悪さをすると、自分に返って来るという事を お芝居を手本として
自らへの戒めとなって居たのかも知れませんね。


でも今の子供さんたちは「悪いことをしたら地獄へ落ちる」とか
「天狗にさらわれるよ」と云っても 天狗や地獄そのものが
想像できないのだそうです。

顧みて地獄がわからなければ 極楽さえも思い浮かんできません
だから現在の子どもたちは 自分は今 何をすればいいのかが 
わからなくなってしまうのでしょうね。


その点、右近ちゃんは今 やらなければならない事を知っております(笑)

猿島惣太は、過去武士の時に自分が使い込んだ一万両のお金を
なんとか主君とお家に返して、無法を詫び お家に復帰したいと
思っております。

そのために悪業ではあるが、人買いでお金を稼いでいて、
そのせいで主君の子 梅若丸を死なせてしまいます。 
因果とはいえ どうも考え方が本末転倒のような気がします(笑)

そんな毎日、右團次さんと右近ちゃん 同じ場面でお芝居をしながら 
惣太の「思い」と 右團次さんの「父親としての思い」が、
2幕のこの場面で 表と裏の気持ちが
交差している事でしょうね。(笑)


惣太としては手荒く折檻しながら 父親としては厳しくもやさしく
それでいいよ・・・!みたいな、複雑な心境でしょうね。


およそ10日が終わり、ここまででもホッとされている事でしょうが、
まだ公演日は2週間以上ございます。

おそらく父親と気持ちとしましては このまま続けば安心と 
思われて居る事でしょう。



父が役者で 子が役者になるのは 決められている因果ではありません。

私も思えば今の右近ちゃんと同じ立場。
決められていないけれども いつしか役者の道を歩んだ。。。これも私の因果。


そう云う意味からも なおさら右近ちゃんに 思いを寄せてしまうのかも
知れません。

もっとも、私の場合は 右近ちゃんとはかけ離れておりまして、
それこそ 襲名披露なんてなかったのですけどね。


それでも、こうして私が今現在も 舞台に立って、
小さいころから知っております 右團次さんの更に息子さんの初舞台に 
共に立っているのも ある意味因果。

後二週間余り。
ますますの成長を 祈らずにはおられません。