『壽・新春大歌舞伎』夜の部は、海老蔵さんと中車さんの「義賢最期」で
幕を開けます。

河内源氏の源義賢(みなもとのよしかた)

この名前は皆さま あまり馴染みのない名前かも知れませんが、
源氏にとっては かなり重要な人物です。

かって猿翁旦那も池袋のサンシャイン劇場のこけら落としで、
映像とドッキングの歌舞伎、第2弾として上演された事がございました。

ちなみに第1弾は映像との歌舞伎「奥州安達原」で、
序幕 鶴殺しより二段目、三段目の通し狂言でした。

この「義賢最期」も、そう云った意味では 元の通し狂言の外題は
「源平布引滝」の中の二段目で、三段目はこの後に続きます
「実盛物語」です。

源義賢、この人は源義朝(みなもとのよしとも)の異母弟で、
義朝は、鎌倉幕府を開いた頼朝、さらには弟 源義経 二人のお父さんです。

ですから、義賢は頼朝、義経の叔父さんにあたります。

ただ、歌舞伎の「源平布引滝」は 歴史とはだいぶ異なり、
史実では義賢は、兄の義朝との勢力争いで敗れますが、歌舞伎の義賢は
平家に討たれる事になっております。

兄義朝は、源氏を裏切り平家に寝返った家来に、長田の館で暗殺されます。

義賢は病に臥せりながらも 平家に服従しているように見せかけ
平家を欺いておりましたが、上司ふたりが白旗詮議と 暗殺した義朝の
髑髏を持参して義賢館を訪れ 平家に服従するのならこの髑髏を踏めと云われ、
思わず本心が出て上司二人に斬りかかりますが一人、高橋判官は
逃がしてしまいます。

そのあとに、軍勢が大挙 館に押しかけ 襖や槍を使っての
大立ち廻りとなるところが このお芝居の眼目です。

館に押しかけた、平家の軍勢との戦いの最中、妻の葵御前を
百姓の九郎助 娘小万 その子太郎吉と一緒に落ち延びさせます。

この時に九郎助の娘 小万に源氏の白旗を預け 自らは館で
討ち死にを致しますが、この時 葵御前のおなかの中には
子が宿っております。

これがのちの源義仲(みなもとのよしなか)

義賢亡き後、三段目に登場する斉藤実盛の手により 木曽谷の武者に
預けられていたので 木曽義仲とも云われております。

後年 源氏再興の夢を木曽で旗揚げして、京に居る平家に立ち向かい、
倶利伽羅峠(くりからとうげ)に於いて 4千の軍勢で6万の平家を
牛の角に松明をつけ 崖から追い落としたのはあまりにも有名なお話ですね。

お話がそれました(笑)

歴史上でも30歳ほどの若さでこの世を去った源義賢 

歌舞伎「源平布引滝」の二段目「義賢最期」では、子供の源義仲の
木曽の名を借り 木曽先生義賢(きそのせんじょうよしかた)と名乗り
源氏の旗揚げには、なくてはならない人物として描かれております。

ですが、この源義賢が木曽に居た史実がなく おそらく子の義仲が木曽義仲と
云われて居た為に 歌舞伎では義仲より先に生まれたと云う意味で
木曽先生(きそのせんじょう)と云う名前を創作したのではないでしょうか?

これも歌舞伎の楽しい そして面白い名前の付け方ですね(笑)