国立劇場では『仮名手本忠臣蔵』の通しを3ケ月にわたって
上演致しております。
ですが 歌舞伎座では、恒例の忠臣蔵関連のものの演目はなし、
京都先斗町の歌舞練場の顔見世でも、舞踊の八段目『道行旅路嫁入り』
だけとは、何とも寂しい次第です。

かろうじて14日BSに於いて昔の東映映画の『赤穂浪士』と、
昨日 最近の松竹の『最後の忠臣蔵』を放映しておりましたが、
やはり 今やこう云った作品の放送はBSに限られてしまうのでしょうか?

年末には『忠臣蔵』を取り上げれば、儲かると云ったような風習は
歌舞伎だけに限らず 段々と薄れてきているのは否めませんね。


昨日、ところどころ この『最後の忠臣蔵』を見ておりました。
(もちろん、録画しております)

そういえば、この作品は 国立劇場で忠臣蔵の芝居に出ております時に
澤村大蔵さんが見に行って「よかったよ! 絶対に見に行かないと!」
と云われていたので すぐに見に行った作品です。

テレビを見ながら 家人が
「歌舞伎の切腹の場面で 三宝をくるっと後ろに返す場面、
 綺麗な所作って感じで なんか好きなんよね~」

と云っておりましたので、ああ、この意味はね~と話しておりました。

お!これは ブログのネタ一ついただき!

と云う事で 今日は独特の所作のお話。


ただ、あくまでも、歌舞伎や時代劇におけます所作の話ですので、
切腹の是非云々を論じてはおりませんし 論じるつもりはございませんので、
そのあたりはよろしくお願いします。

所作の話です。



切腹の作法的なものは、江戸時代の前期から中期辺りに確立したみたいです。

例えば『仮名手本忠臣蔵』の四段目、判官切腹の場では水裃(死装束)をまとった
塩冶判官が作法に則って 切腹を致します。

水(みず・・白の意)裃の前の部分を両手で引き抜き 着付けの袖をまず
右左と抜き、それから持っていた裃のヘリのそれぞれを膝から足にかけて 
十文字に敷きます。

ヘリを敷くのは これから迎える最期の時に、武士としてみっともない形で
終えることの無いように 自分への戒めの様なものではないかと
私は思っております。

自らの着ているのものの一部を 膝の下に敷いていることで、
自分の体重で 着ているものの一つを おさえつけております。
当然、行動範囲も 制限されるでしょう、動きにくくなるわけです。


時々、裃を跳ね上げて切腹するシーンを見かけますが、
正しく武士としての切腹場であるならば これはありえません 

あくまでも作法ですから・・・。


次に、着付けだけ、肌脱ぎを致します。

その状態で 前に置かれた三宝から、九寸五分 をとります。
(くすんごぶ・・一尺に足りない切腹専用の刃だけの柄のない刃物)

あまり長いと、これを持って役人たちに斬りかかる人も出て参りますので
腹に突き刺さる寸法しか 刃渡りがございません


九寸五分を取り これに三宝に敷かれてある懐紙を巻きます。

これは、もともと柄のない 刃の部分だけの刀であるため 必要なこと。
懐紙を巻かないことには 持って力を入れることが出来ません。

 

刀を左手に持ち替えて 三宝を捧げて 自分の後ろへ回します。

これには、もう刀はここへは返しません・・・後戻りはしませんの意。
三宝をお尻に敷いて 押し潰すと云うものもございます。


まさに、一歩一歩 後戻りのできない道を 歩んでいることを
表しているわけです。


その後の所作は・・・
あえて 今日は書かないことに致します。


ですが、ここまでの所作、演じている役者は、所作ではありますが、
恐らく所作だと思って演じてはいないことでしょう。

歌舞伎であれば25回繰り返しますが 一度一度が 最期の時。
そう思って 演じているに違いありません。


懐紙をとり、懐紙を巻く、そして三宝を・・・
それぞれのお役 それぞれの役者さん

どこで本当の覚悟を決めるのでしょう・・・


私は『仮名手本忠臣蔵』での 早野勘平の腹切りしかやったことはありません。
勘平は 武士ではありますが浪人のために切腹ではなく 腹切りでした。

この所作を 実際に自分で演じたことは 残念ながらございません。
私なら どう演じるかなあ ちょっとそんなことをも 思ってしまいました。

 
ここまで書いてきました切腹の所作、
あくまでも歌舞伎や映画の芸術のための作法の言い伝えですから、
本当の切腹法は、私も見た事はございませんので 念のために・・(笑)

実際の切腹も おそらく 武士であれば子供のころから
言い聞かされていたことでしょうが・・・


それを 所作として 取り入れておりますのが 歌舞伎なんです。

実際は 限りなく壮絶で 悲しく 苦しいものを 所作の美しさで
昇華して作り上げた それが 時代劇そして歌舞伎の美しさだと
思って頂けたらと思います。



昔の東映映画や、テレビなどでもやはり、この切腹の作法は活かされております。

ですが最近のテレビ等では、切腹場は、その雰囲気だけの映像が多く
行われました・・風に次の場面へ移ってしまう事が多くなりました。

となりますと記録がどんどん、なくなって行ってしまう訳ですよね。 


ですが、ちょっとした所作にも ちゃんと意味があります。

その流れるような所作が 芝居の中では 流れるような所作であればあるほど
恐らく 死と隣り合わせの人物と まるで芝居のような(芝居ですが・・・)
所作との乖離に ますますの 哀れを感じられるのではないでしょうか。


恐らく皆様 なんとなく流れで ご覧になられていたでありましょう
この所作の数々。


一つ一つには 意味があり、その意味を感じながら見て頂けましたら
きっと また違う発見もあるかと思います。