昨日の続きとなりますが・・・。ご質問の2

2、定式幕は 下手から上手に開いて、また下手に閉じるのが普通ですが、
  8月の『東海道中膝栗毛』でしたが、逆の事があったように思います。
  どういう時に逆になるのでしょうか?


このご質問に関しまして、まずは、大前提から。

元々は、江戸時代では 今とは逆に 上手から開いて、上手に閉じてました。
これはどうしてか、とちょっと調べてみたのですが、「江戸時代では逆でした」
とあるだけで、理由らしきものが 書かれているような 書かれてないような。

現在でも文楽では、この方式がとられております。
文楽では 考え方としては 大夫さんの語りが主役でありますので、
一番先に見えて 最後まで舞台上に居る。

そのために上手から開き、上手へと閉じるのでしょう。

元々は、文楽から入ってきた義太夫狂言などの場合は、
この方式が使われていたので、江戸時代の歌舞伎では上手から、
と云う事なのでしょう。


正直、この上手から、下手からと云うのが 一体いつくらいに変化したのかは
調べても よくわかりませんでした。
(調べ方が足りていなかったら ごめんなさい)

なぜ現在では 下手方向に閉じるのが通例となっているのか。

これは、やはり歌舞伎の文楽とは違う 独特のものが関わっていると思います。

例題を上げますとご存知、歌舞伎十八番の『勧進帳』

これは、一番最後 幕となります時に 弁慶が幕外として一人花道に残ります。

そして上手から下手へと幕が閉まり 中央の見送る富樫左衛門を幕で隠すと
その幕のまま、花道に残る弁慶にお客様の目線は自然と移ると云う
歌舞伎ならではの、誠に優れた演出です。

その後 幕が大きく後ろへ引かれ 花道に残る弁慶の六方に合わせて 
黒御簾の中で鳴り物さんが演奏を致します。

他の演目の幕外も概ね こう云ったものです。


つまり、歌舞伎には下手方向に「花道」があり、幕が閉まる時にも
その舞台機構がふんだんに使われている と云う事。

また、これは優劣の問題ではないのですが、あくまでも歌舞伎では
役者の方に主眼が置かれている 演劇であるという事。

そのあたりから、下手に幕が引かれて終わるという形になったのでは
ないかと思います。



では下手から上手に閉まり 上手から下手に開く場合の定式幕の場合。
これは特殊な時に限られます。

まず、8月の歌舞伎座『東海道中膝栗毛』の場合。
一番最後の宙乗りの時には、幕は上手から下手へ閉まったと思うのですが、
おそらく途中の幕の閉まり方だと思います。

ごめんなさい、私自身が客席から通して舞台を見ることはありませんので、
正直ご質問の場面が どこの事かは・・・わかりませんでした。


そこで、もう一つ巡業の例で書いてみます。

先ほど、花道に残る弁慶に黒御簾の中から演奏をしますと申し上げましたが、
これは鳴物さんと長唄さんに限ります。


巡業中の『獨道中五十三驛』で申しますと、土手のお六が花道に残ります時、
幕外の演奏は上手雛壇に並びます常磐津さんが、そのまま続いて演奏されます。

ここで上手から下手に幕が閉まりますと 幕外のお六が見えず 
演奏ができなくなってしまいます。

こう云ったように、最後に特殊な演奏がある場合や、
宙乗りのワイヤーなどの関係で 上手閉まりになる場合に限り
幕開きが、上手から下手に開くと云う幕の開き方がございます。


重ねて申しますと巡業中の『獨道中五十三驛』の二幕の舞踊の幕開き、
ご覧になられたお客様は 思い出して下さいませ。

私が弥次さんとして 板付きで登場する時、定式幕が上手から開いた
ご記憶もあるかと存じます。

これは、上手から開けることにより、板付きの私の登場を強調する・・・
と云うわけではありません。そんな訳はございません(笑)

最終的に、お六の場面で 上手へ幕を閉めるためには 開けるときに
上手から開ける必要があり、幕自体を下手に準備しておくため。
そんな理由がございましたので 幕開きに歌舞伎に慣れておられる方には
あれ?という 幕の開き方になっていた と云うわけなのです。


これでご質問のお答えになりましたでしょうか?

また歌舞伎のいろんな所におきまして、ご質問がございましたら
お寄せいただきたいと存じます。

私の知っている限りは お答えさせて頂きたいと存じますが、
猿之助さんのお言葉、「決まりはないんです!」が 
一番いい答えかも知れません(笑)