今日は『寺子屋』のお稽古2日目です。

初日が開きましたら 時間が固定されまして 
何時に出て何時に帰る、と 云った時間も決まりますが、
お稽古は順不同な所もございますので、今日は何時、家を出るのが・・・
と云う風に 毎日がある意味 緊張の連続です。

毎日稽古割を確認しまして わかったつもりでも また確認。
私にとりましては お稽古期間の 通例のような行事です。


さて、まだ お稽古期間中ですので ちょっと舞台とは違った話。

先日行きました 板橋で加賀を探す旅。
その最中に 思いもかけないものを発見いたしました。


この1年間、私が はまりにはまっております『真田丸』
その中で ここ最近の登場人物が出てきます度に 家人が変な名を呼びます(笑)

その登場人物が 明石全登 
(五人衆の中のキリシタンの人と云えば お分かりでしょうか?)
演じているのは 小林顕作さん と云う 役者さんらしいのですが、
家人は出てくるたびに「オフロスキー」と(笑)

お風呂??好き??

正直何のこっちゃだったのですが よく聞きますと 
大阪に帰省した時などに見る 姪っ子が大好きなテレビ番組に出ているとか。

聞いても なんのこっちゃ感満載だったのですが・・・
今度一度見てみます(笑)

いろいろな分野の人が それぞれ個性あふれる脇役を色鮮やかに演じている
こんな作品は 本当にすごいなあと思います。


その明石全登が 以前仕えておりましたのが、宇喜多秀家。
『真田丸』では 高橋和也さんが演じておられました。

先日のブログ 坂崎出羽守の従弟になります。

高橋和也さんと云えば 私は猿之助さんが亀治郎時代に出演された
『風林火山』の馬場信春役が印象が強く残っております。
馬場殿と云うよりかは教来石殿でしょうか。

この方も 私は俳優でしか認識していなかったのですが、
元々はジャニーズ事務所の 男闘呼組だったとか。
男闘呼組、聞いたことはありますし メンバーの名前も
何となくは知っておりましたが、つながりませんでした。



話がそれましたが そんな 宇喜多秀家についてのお話です。

先日の散歩の途中で、資料には宇喜多秀家の供養塔が 
その近くにあることが書かれておりました。

それならばと足を延ばしましたのは これまた普段よく通り、
わりと見知ったお寺でしたので ちょっとびっくり。

旧中山道からちょっと入ったところにあります 東光寺に
その供養塔はございました。

イメージ 1


どうして宇喜多秀家と 板橋??加賀藩?と思いまして調べました。

関ヶ原の敗戦後に 宇喜多秀家とその一族は 八丈島に流罪になりました。

その際に八丈島の 宇喜多改め浮田一族を援助していたのが、
妻の実家筋の加賀の前田家。

ここで加賀藩とのつながりがわかりました。

結局、秀家自身は刑が解かれた後も 八丈島に住み続け、
八丈島で生涯を終えます。84歳。家康よりも長生きをした訳です。


浮田の家は、分家などを含めて 八丈島で生き続け、
明治になってから本土に移住します。

その時に加賀下屋敷の土地の一部を分け与えられ、そこで帰農したのだとか。


その時に、子孫が立てたのが この供養塔だとのことです。
(建てられた当時からは 場所は変わっております)

イメージ 2


なるほど、江戸時代を通じて 加賀藩とのつながりを持ち続け
その後明治になっても こうして加賀藩の地、板橋との関わりが
有ったのですね。



ちなみに浮田の一族は、東京へと来たものの、そのほとんどは
後に再び生まれ育った八丈島へ 帰ってしまったそうです。


江戸の始まりを告げる 関ヶ原で家康と戦い、江戸を生き抜いた宇喜多(浮田)の一族。

思いがけずに 板橋と所縁があるとわかりました。


そう云えば 板橋の酒屋には 私のブログの名前と同じ「二輪草」
という名の日本酒と共に「八丈百万石」という焼酎も売ってございます。

今までは それほど深く考えたことがなかったのですが、
こういう繋がりがあったのですね。

今度見つけたら 買ってみようかなあ。