大坂城落城の物語で、ひとつ異色な作品がございます。
今日は、それをご紹介いたしましょう。

演目名は『坂崎出羽守』

原作は「路傍の石」で有名な 山本有三さん
初演は1921年9月 坂崎出羽守に名優 六代目尾上菊五郎さん

この人は、関が原合戦の時は 西軍の大将のひとり 宇喜多秀家の従弟でしたが、
秀家と意見が合わず 東軍の徳川家康に味方をして 後年家康に認められ 
宇喜多の名を捨て、坂崎と名乗っておりました。

そして、大坂夏の陣において いよいよ大坂城が燃え 落城寸前の折の
家康の「千姫を助け出したものに、千姫を与える!」と云う言葉に
坂崎出羽守は 燃え盛る大坂城の中から命を懸けて 千姫を救い出します。

千姫とはもちろん 家康の子、秀忠の娘で家康の孫となります。
『真田丸』では、あまり登場致しませんね。

千姫は小さい頃に、秀吉と家康との同盟を結ぶために 人質同然で
秀頼の許嫁となり 大坂城で秀頼の妻として 暮らしておりました。

家康は孫である千姫を 大坂城で死なせたくなかったのでしょうね。

そして、家康は約束通り 坂崎出羽守に千姫を嫁がせようと致しますが、
千姫は、千姫を救い出した際の坂崎の大やけどの顔を怖がり 頷きません
それどころか坂崎を遠ざけ あう事さえ拒んだのです。

そんな折に家康が亡くなり、約束が反故同然となり 千姫は別の処へ
嫁いで行く事になります。

それもこれ見よがしに坂崎の屋敷の前を通って 輿入れすることになったのです。

面目を潰された坂崎は その行列を襲って千姫を奪おうとする画策をたてましたが
その計画が先に幕府に知れる事となり 屋敷を取り囲まれ 幕府からは
切腹すれば家督相続は許すとの条件が出されます。

しかし家来たちは主人を切腹させる訳には行かないと 抵抗いたしますが、
幕府の甘言に乗った一部の家来が主人坂崎を暗殺してしまいます。

お芝居上では、「乱心のために、行列を襲おうとした訳ではない!
せめて武士の一分を立てるため!」と 切腹して果てます。


その屋敷の前を嫁いでいく千姫の行列が通って行くと云う物語です。

尚 坂崎出羽守に関しましては、諸説ございますので、歴史上の事ではなく
それを参考にした物語と お考えください。

このお芝居、最後に出ましたのが1981年2月の歌舞伎座ですから
もう35年も前ですか?

坂崎出羽守に初代尾上辰之助さん 千姫に尾上菊五郎さん 
徳川家康に市村羽左衛門さん  

大坂城落城の悲劇は 豊臣方だけに非ず 勝者であった家康にも 
悲劇が訪れたと云う 今でも考えさせられるお芝居でした。 

もし、再演があった時はぜひご覧くださいませ。