私が『加賀鳶』のお芝居に初めて出演させて頂いたのは、1966年10月。
帝国劇場開場式の時、『二代目中村吉右衛門 襲名披露公演』でした。

この時 列座されていた歌舞伎俳優の面々の凄い事!

中村歌右衛門丈、松本幸四郎(白鸚)丈、尾上松緑(二代目)丈、
中村又五郎丈、中村福助(先代芝翫)丈、市川中車(八代目)丈、

これに若手として 染五郎(現幸四郎)丈、吉右衛門丈 新之助(團十郎)丈、
辰之助丈、福之助(梅玉)丈 男女蔵(左團次)丈 等々の面々が出て居られ、
まさに豪華な顔ぶれでした。

この時の切狂言で『加賀鳶』が出て居り、松緑丈の道玄と梅吉。
幸四郎(白鸚)丈の日陰町松蔵、そして木戸前には先の若手がずらっ~と並び、
それはそれは、華やかなツラネだったことを 未だに覚えております。

で、私は何をしていたかと申しますと、3幕、菊坂竹町、道玄長屋前の子役、
小按摩、寒竹(かんたけ)をさせて頂いておりました。私14歳。

なんと50年前です。(笑)

この時の幸四郎(白鸚)丈 日影町の松蔵と、松緑(二代目)丈 竹垣道玄の
質見世の台詞のやり取りがとても面白く 毎日、花道から見ていたのが、
昨日のことのように 覚えております。

そしてその後の 赤門前の手先との立ち回りも よく目に残っております。
本当にいいものを見せて頂いた・・・と。

まさかあの時、50年後の自分が、歌舞伎座で道玄を捕まえているなんて 
誰が想像したでしょうか?(笑)

この時の伊勢屋質見世の丁稚が 今の高麗蔵さんです。(笑)

時代が流れても、同じ演目での思い出、50年先に今回の小按摩、寒竹が
また、どなたかの道玄を捕えているでしょうか?(笑)