今朝はホテルでゆっくりでした。
その分 昨日バスで終演後2時間半をかけてここまで来た甲斐が
ありました。
ありました。
ホテルの部屋からは昨日 暗闇の中を渡って来た瀬戸大橋。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190630/11/enzaburou/ae/9c/j/o0400022514486084357.jpg?caw=800)
左側 真ん中あたりの橋が瀬戸大橋です。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190630/11/enzaburou/3a/84/j/o0400022514486084366.jpg?caw=800)
そして部屋の右側には、讃岐富士と云われる飯野山。(右側がそうです)
今日の公演場所は丸亀市民会館。
ここの会館は歌舞伎でも何回か来ておりますが、
私が印象に残っているのはその前の20歳くらいの時、
吉本新喜劇の出演で 訪れた時の事です。
私が印象に残っているのはその前の20歳くらいの時、
吉本新喜劇の出演で 訪れた時の事です。
1974年10月。
出演者は 花紀京さん 原哲男さん 芦屋小雁さん 藤井信子さん
フラワー・ショーのみなさん 等々。
フラワー・ショーのみなさん 等々。
私は、高校3年生の受験生のお役。
第1部 漫才3題。
第2部 お笑いと歌のショー。
第3部 吉本新喜劇。
第2部 お笑いと歌のショー。
第3部 吉本新喜劇。
その時 私 第3部の舞台出演とともに 第2部のショーの
照明&ミキサー(音響担当)を担当させて頂きました。
照明&ミキサー(音響担当)を担当させて頂きました。
バス1台にみんな乗り込み 西日本の色んなところを毎日、
2.3か所ずつの会館を回るのです。それで10日間。
2.3か所ずつの会館を回るのです。それで10日間。
各会館で、いつ照明を切るのか ミラーボールを点灯するのか
幕の上げ下げのきっかかけ等を 会館在中の方に告げるのです。
幕の上げ下げのきっかかけ等を 会館在中の方に告げるのです。
少ないメンバーでの公演ですから、大道具さん二人。
小道具や照明 音響は役者さんが受け持ち 場内アナウンスは
漫才の方が担当されておりました(笑)
小道具や照明 音響は役者さんが受け持ち 場内アナウンスは
漫才の方が担当されておりました(笑)
この時にとっては 私 金額はもちろん いろんな意味で
いいアルバイトをさせて頂いたと思っております(笑)
いいアルバイトをさせて頂いたと思っております(笑)
吉本新喜劇で同行された方は もう何人も鬼籍に入られておられますが、
そういった意味で 歌舞伎より先に出演致しました思い出深い会館です。
そういった意味で 歌舞伎より先に出演致しました思い出深い会館です。
1969年(昭和44年)完成と申しますから 来年で築50年。
ですが、耐震設備やもろもろの条件で、来年3月で閉館になることが
決まっており 歌舞伎の公演は この『獨道中五十三驛』が
最期なのだそうです。
決まっており 歌舞伎の公演は この『獨道中五十三驛』が
最期なのだそうです。
時代の流れと云い 吉本新喜劇で初めて出演した会館で
歌舞伎でその歴史の幕を 閉じさせて頂く
そしてそれに出演させて頂くとは 何か感慨深いものがございます。
歌舞伎でその歴史の幕を 閉じさせて頂く
そしてそれに出演させて頂くとは 何か感慨深いものがございます。
その会館を後にしまして、今日は終演後 新大阪へ戻りまして明日の
和歌山公演に備えます。
和歌山公演に備えます。
このブログは終演後、新大阪へ向かう列車を待つ間、丸亀駅にて
書いております。(笑)
書いております。(笑)