今朝はホテルでゆっくりでした。

その分 昨日バスで終演後2時間半をかけてここまで来た甲斐が
ありました。

ホテルの部屋からは昨日 暗闇の中を渡って来た瀬戸大橋。

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左側 真ん中あたりの橋が瀬戸大橋です。

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そして部屋の右側には、讃岐富士と云われる飯野山。(右側がそうです)



今日の公演場所は丸亀市民会館。

ここの会館は歌舞伎でも何回か来ておりますが、
私が印象に残っているのはその前の20歳くらいの時、
吉本新喜劇の出演で 訪れた時の事です。

1974年10月。

出演者は 花紀京さん 原哲男さん 芦屋小雁さん 藤井信子さん 
フラワー・ショーのみなさん 等々。

私は、高校3年生の受験生のお役。

第1部 漫才3題。 
第2部 お笑いと歌のショー。
第3部 吉本新喜劇。

その時 私 第3部の舞台出演とともに 第2部のショーの
照明&ミキサー(音響担当)を担当させて頂きました。


バス1台にみんな乗り込み 西日本の色んなところを毎日、
2.3か所ずつの会館を回るのです。それで10日間。

各会館で、いつ照明を切るのか ミラーボールを点灯するのか
幕の上げ下げのきっかかけ等を 会館在中の方に告げるのです。

少ないメンバーでの公演ですから、大道具さん二人。
小道具や照明 音響は役者さんが受け持ち 場内アナウンスは
漫才の方が担当されておりました(笑) 

この時にとっては 私 金額はもちろん いろんな意味で
いいアルバイトをさせて頂いたと思っております(笑)


吉本新喜劇で同行された方は もう何人も鬼籍に入られておられますが、
そういった意味で 歌舞伎より先に出演致しました思い出深い会館です。


1969年(昭和44年)完成と申しますから 来年で築50年。

ですが、耐震設備やもろもろの条件で、来年3月で閉館になることが
決まっており 歌舞伎の公演は この『獨道中五十三驛』が
最期なのだそうです。


時代の流れと云い 吉本新喜劇で初めて出演した会館で 
歌舞伎でその歴史の幕を 閉じさせて頂く 
そしてそれに出演させて頂くとは 何か感慨深いものがございます。


その会館を後にしまして、今日は終演後 新大阪へ戻りまして明日の
和歌山公演に備えます。

このブログは終演後、新大阪へ向かう列車を待つ間、丸亀駅にて
書いております。(笑)