朝からあいにくの小雨模様。

6時過ぎには38年ぶりの朝風呂、
なつかしの露天風呂に入りました。(笑)

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この川沿いの景色 覚えております。

誰と入ったでしょうか?
当時一緒に入った人で 今なお 歌舞伎の世界に居られる人は 
もうほとんど居ないかも 知れません。

たった38年、されど38年。
私にとっては 強烈な印象を残しました温泉宿ですが
時代の流れでしょうか、でもここを読んでくださった方が
また訪れて頂くことがございましたら それも時代の流れです。(笑)

花巻駅で気がついたのですが、池袋から高速バスで来られるのですね。
近いうちにもう一度来たいです。
次回は連泊で!

10時頃に大沢温泉山水閣を後にしまして、シャトルバスで花巻駅へ。

そこから在来線で平泉まで行きました。

東北の旅の次の目的は中尊寺。

雨が気にかかりましたが、平泉に着くと傘いらずの雨くらいなので
思い切ってレンタサイクルで このあたりを周る事に致しました。

藤原三代、清衡 基衡 秀衡 

そしてそれらを頼みとした義経の足跡を追うべく
最期の場となった衣川古戦場の義経を祀った義経堂(ぎけいどう)

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弁慶の立ち往生となった弁慶のお墓。

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衣川の流れ おそらく義経自刃の場所の違い等
その事についてはまた後日に・・。 


そして、藤原の郷の象徴たる金鶏山中尊寺の本堂 金色堂
讃衡蔵(宝物殿)を 見学致しました・・

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この写真は 本堂を遠くから撮ったもので 金色堂内ではありません


さすがに金色堂の中は撮影禁止でしたが、金箔に輝くお堂は大変荘厳で
こころが洗われる気が致しました。


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それにしても この義経と弁慶が居なかったら、歌舞伎の演目
三分の一はなかったでしょうね・・・?

義経、弁慶の役は 今に至るまで 演じたことがございません。

と思っておりました・・が すみません、ウソでしたというより 誤りでした。
弁慶はした事がございました。書いていて思い出しました。(笑)

はるか昔、飛鳥峰王先生(右近さんのお父様)の振り付けで、
菊人形の時期に ひらかたパークの公演で10日間 五条橋の弁慶
踊らせて頂きました。(笑)

さらにもう一つ、思い出しました。

翔の会 第一回の公演では『橋弁慶』の弁慶を猿翁旦那のご指導のもと
踊らせて頂きました。 たった1日の勉強会!

と書いていて もう一つ思い出しました。

もっともっと前、私が6歳くらいの時、牛若丸を演じました。

これはある舞踊家さんの会ですが、紋付き袴で 父が弁慶 私が牛若丸。
これも長唄の『橋弁慶』

弁慶。。。。。義経。。。。。私・・・演じてますやん。(笑)

このブログの下書きを書き始めた当初 藤原には訪問してない当時
自分ながらに義経弁慶は演じてないと 思いながらの気持ちで書いておりましたが
思い出してきたことは不思議な思い・・・演じてますやん。(笑)

そんなこんなの思い出も たくさん思い出し 繰り返し
私が今ある感謝とともに 800年の昔の義経、弁慶に手を合わせます。

私、個人的にこの中尊寺の前の道路 国道4号線はバイクで何回か
通った事があるのですが、この中尊寺の境内へ入った事は初めてでした。

前を通るだけじゃあ、この偉大さはわからないよなあ~と
改めて感じた次第です(笑)



平泉駅から それほど離れた距離ではありませんが、そのそれぞれを 
歩いて回るには距離があり 路線バス、観光用のバス?ですと 
どうしても時間が限られます。


心配された雨にも合わず やはり当初の計算通り、小雨ながらも 
電動自転車が最適でした(笑)

思った通りの経路で 走りとおしました。


そして 平泉~一関 そこから 新幹線で、福島に出まして 
そこから飯坂線という私鉄??で 本日は飯坂温泉 天竜閣に宿泊。

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例によってお風呂!(笑)

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東北の旅ももうあとわずかです。


一つ一つの場所を楽しみながらの今回の旅。

時間と余裕がなくては叶いませんが、 今また昔を振り返り 
その時にできなかった事を 今 できる喜びに 感謝致しております。  

それもまた 今回のこの旅の一つの目的なのです。