現在 私の出演致しております新生歌舞伎座。
2013年4月に開場しましてから すでに3年を過ぎました。

現在の歌舞伎座は、明治22年に建てられてから 第5期だそうです。


私はもちろん、3期までの歌舞伎座は存じ上げません
第3期の歌舞伎座は、第二次世界大戦の1945年(昭和20年)
5月25日の東京大空襲で、全焼したそうです。

そして第4期の歌舞伎座は、1951年(昭和26年)に第3期の
躯体を利用して建てられたそうです。

私と1年違いの生まれでしたか・・・?(笑)
ご縁を感じます。


このひとつ違いの 兄さんの・・・4期の歌舞伎座、
私の出身が大阪だったために その舞台への出演は かなり後の事になります。 

初めて出演させて頂いたのは39年前。1977年7月の事になります。 

昼の部が猿翁旦那の『小笠原騒動』仁左衛門(孝夫)さん 玉三郎さんの『神田祭』

夜の部が『寺子屋』『子守』『夕顔棚』『お染の七役』の演目でした。
この時に私は、東蔵さんのお手伝いをさせて頂いておりました。

それからほぼ、毎年7月は歌舞伎座と云う 出演が多かったですね。


当時は私、まだ20代でしたから、立ち回りなども 多くかからせて頂きました。

国立劇場には野外ですが、研修生用に 立ち回りに必要なトンボの練習をする
砂場も常設されております。
ですが 野天でありますので雨の日などはお稽古ができません


またこの第4期歌舞伎座には 過去におきましては 
いわゆる トンボ道場が有ったらしいのですが 
私が出演させて頂いた初期の頃には すでに 別の楽屋か何かに 
作り変えられてしまい そういったものは ありませんでした。

その後 大道具さんたちが 名題下の事を 気にかけて下さり
楽屋の外庭のスペースに砂場を設けてくださいまして 
名題下待望の 簡単なトタン屋根のとんぼ道場ができました。

が、月初め 月末などは 搬入搬出などに場所が足りず 荷物置き場などになり 
常時 トンボの練習をする事が叶いませんでした。


そんな時は3階の大部屋で トンボの稽古をしておりましたが
木造でガタの来た畳で トンボを返るとかなり響くらしく
2階真下の大幹部さんの部屋から「うるさい!」などと
(公演中ですから 当たり前ですね・・・笑)
クレームが来たり なかなか思うようにお稽古できない日々が
つづきましたね。


その点 現在の第5期歌舞伎座は 私たちの3階の楽屋の並びに
常設の 立派なとんぼ道場ができ、いつでもお稽古する事が 可能となりました。  

イメージ 1


写真の畳は、走って行ってのトンボ 返り越し用のもの。

奥の階段は 返り落ちのお稽古用。 
青色のシートがかけてある所が砂場です。

トンボにはその場で返る 居所返りの他 床几などの狭い場所で返るトンボ。 
引き返り等(返った場所より手前に落ちる)など 様々な種類がございます。

このあたりを 自分で調整して行かないと 舞台上での大怪我となり
到底1ヶ月は持たないのです。

この新生歌舞伎座のトンボ道場 この写真を撮った時はちょうど
練習の谷間でしたが、道場の看板は第4期からのもの。

イメージ 2


私たちの年代を含め この看板は多くの名題下 そして名題 また幹部の
姿を見続けてくれておりました。

これから先の 活躍する人たちの その後の成長をも見守ってくれるのでしょう。