ここ暫く、歌舞伎と真田の関係のブログを書かせて頂きましたが
今日は真田に所縁の沼田と 私のちょっと個人的な繋がりを・・・(笑)


1983年8月、十三代目仁左衛門さんご指導のもと行われましたのが、
上方歌舞伎の(当時の・笑)若手によります自主的な勉強会、
第4回若鮎の会。

その年の演目は
『太功記十段目(尼崎閑居の場)』『伊勢音頭恋寝刃』『勢獅子』

まだ大阪籍だった私は、嵐延夫の名前で出ておりました。


お役は、《武智十次郎》と《北六実は岩次》そして『勢獅子』では
《鳶の小頭》を 勤めさせて頂きました。

(余談ですが、この時 『勢獅子』に子役として出て居りましたのが
 片岡千代丸事、現片岡愛之助さんです・・・笑 まだ10歳くらいです)



で この1~2年後の事なのですが・・・。

当時、親しくさせて頂いておりました義太夫の三味線さんに
豊澤重松(とよさわしげまつ)さんとおっしゃるお師匠さんが
居られました。

この方 古い事や地方の歌舞伎の型などもよくご存じで、
猿翁旦那の『奥州安達原』や『源平布引瀧』他 義太夫狂言では、
なくてはならない方でした。


私 この方のご紹介とお招きで、上州沼田で有名な地芝居歌舞伎に
参加させて頂いた事がございました。

演目は『太功記十段目』で 私のお役は、武智十次郎。


重松お師匠さんは 沼田の地芝居歌舞伎にもかなりご縁が深く
この時のこの地の、ある記念すべき公演の演目に 
私を連れて来て下さったのは、若鮎の会の評判を聞いて下さったこと、
また ちょうど十次郎のお役だけが 沼田で人が間に合わなかったらしく
「やってくれんか?」と 聞いて下さりました。


それで重松さんから直接 猿翁旦那のご了解を得まして 沼田に来させて頂きました。

重松さんが猿翁旦那に 「延夫を貸してください」と云われたところ
「延夫でないとだめなの?」と仰ったそう。

重松さん「えっ~と では おもだかやで誰か?(私はまだ大阪籍でした)
 ・・・あの・・・十次郎出来る人 お願いします」と再度(笑) 
猿翁旦那「・・・じゃあ延夫を・・・。」

こんなやり取りが 有ったということは 後々伺いました。(笑)
  


正直、私の中で確たる記録がなく 記憶が曖昧なので このあたりの年としか
云えないのですが、確か・・・? 

沼田に所縁の屋号が京桝屋さん と名乗っておられた方が
『寺子屋』の松王丸を勤められていたように思います。

『太功記十段目』は 確かその方のお父様が武智光秀で
妹さんが、初菊を勤められた様な記憶がございます。


お二人とも 私よりお若い方でしたから 今でもおそらく地元では
ご活躍なのではないかと拝察されます。

私 当時は沼田と云う場所そのものに そういった経緯を知る由もなく
なんとも あいまいな記憶なのですが 大河ドラマ『真田丸』で
沼田と聞けば、この事が思い浮かばれてなりません


この時 私の御贔屓のお客様もお二人 この地芝居歌舞伎をご覧に
横浜・東京から わざわざ見に来られましたのも 懐かしい思い出です。

『寺子屋』なり『太功記十段目』なり 東京ではあまり演じられない
古い型もこちらには残っており その舞台 大変興味深く拝見し
参加させて頂いたのも もう30年以上も前の事ですか?


どなたか、このことをご存知の方おられないかなあ と思いますが、
ネットで調べましても なかなか 知りたい情報が出てまいりません。

地元では まだこの催し続いているのでしょうか??
私は その一回きりですが、その後どうなっているのかも 気になります。


その後 かなりたってから 高速バスで老神温泉や吹割の滝あたりへは
伺った事はあるのですが それ以来 沼田は訪れておりませんでした。


『真田丸』を見ますと もう一度沼田と また信州上田へは
行った事がないので 今年あたり 訪れてみたいいなあ~と 
思っております(笑)


ブームの時に行くのがいいのか それとも 人が落ち着いてから行くのがいいのか
悩むところですが 絶対に行きます!