さあ、伝統の7月歌舞伎座公演に入りました! 

昨年(2015年)の7月も歌舞伎座でしたが、私の出番は朝一の
『南総里見八犬伝・芳流閣』の幕開き3分だけ(笑)

それに一座には、猿之助さんは出て居られませんでした。

その前の年2014年は、中車さんの『修禅寺物語』で 
私 恐らく演者としては歴代最高齢で、17歳の下田の五郎を勤めさせて頂きました(笑)

これ 私のブログ以外で どこかで認識して下さらないでしょうかね?(笑)


そんなこんなの伝統の7月。 おもだかや公演の一貫に 
われらが猿之助さんが責任興行として 帰って来られました。

いや、猿翁旦那と猿之助さん 人が違いますから、帰って来た!は
意味が違いますでしょうか?


猿翁旦那が先の歌舞伎座7月公演で、最後に出演されたのは、
2003年7月 昼の部『妹背山婦女庭訓(蝦夷館)』『桧垣』『盲長屋梅加賀鳶』
夜の部は『四谷怪談忠臣蔵』の通しでした。

その次の年(2004年)の7月も公演だけは決定しておりましたので、
猿翁旦那抜きでも 歌舞伎座公演を行わなければならない危機に・・・。
でもやはり集客力としては弱いです。

ですがこの時に救いの手を指し伸ばして下さり 一門に加わって下さったのが
坂東玉三郎さん

玉三郎さんの演出と、おもだかや一門他で、朝一に歌六さんの『修禅寺物語』が
出て居りまして この時の私は、金窪兵衛でした。

(手前味噌ですが、このお役他で私 この年の俳優協会賞大賞を受賞させて頂きました。)

そして昼夜に分けての『桜姫東文章』の通し、この初日通り舞台稽古の時に
猿十郎さんと永の別れとなったのがもう12年前になります。

この時 猿十郎さんの代役で舞台稽古に立ち、それが初日以後の
私の本役になりました。

そして8月には彼は 返らぬ人に・・・。



7月は色んな思い出がございます。

帰って来た《おもだかや7月公演》 
暑いと、熱い思い出が蘇る、7月公演
初日通りの通し舞台稽古も終わり 明日 初日を迎えます。

また一つの歴史の始まりです。