『義経千本桜』の主役は 第一部 第二部 第三部に
分かれて登場する、知盛 権太 忠信に間違いありませんが、
隠れた主役と云いますと、やはりその戦いの原因となる安徳天皇。

史実に置いて 6歳で、壇ノ浦に於いて入水した安徳帝は
あまりにも 哀れです。

まして、母である徳子(後の建礼門院)は源氏の武将に
助けられてしまうのですから・・・。
 

歴史の中の安徳帝は、天下を狙う 平家にとっては待望の
天皇になるべき(するべき)血筋。
(当時の天皇と平家の娘との間に出来た皇子です)

当人にとりましては 生まれて間もなく、いきなり81代の天皇となり
まさか6歳で その生涯を閉じるとは夢にも思わなかったでしょう。
それどころか 自我の芽生えすら あったかなかったか・・・
あまりにも あっという間の人生であった事でしょう。

その哀れさが1000年の時を経ても 未だに語り継がれる
要素なのでしょうね。


自らが犯した事ではなく たまたまその両親の間に生まれ、
歴史に翻弄され 6歳で亡くなった事は 本当に可哀想ですが、
永遠に語り継がれることで、その御霊が安んじられる事を祈ります。



今月の第一部『渡海屋』『舟矢倉』『大物浦』の目玉は、
何と言ってもその安徳帝を演じる、武田タケルくん

6歳と云う年齢は、安徳帝と同い年です。

歌舞伎の舞台上では、数え年で表現しておりますので
御年8歳と云う設定です。

現代ではもう子供の数え年と云う数え方は しなくなって参りましたでしょうか?


『渡海屋』に於いて知盛が、装いを変えて亡霊姿となり、出陣していくときに
安徳帝と交わす末期の杯 その時に唄われます浄瑠璃は


「今ぞこの世の、名残りの涙 八つの太鼓は御年の 数を模る合図の知らせ」


と これで私たち船頭、実は平家の侍が 先のブログの扮装よろしく
死に装束にて迎えに出ます。

また、『大物浦』にて 知盛の策略が敗れて 安徳帝が義経に助けられし時、 

「我を供奉なし 長々の介抱はそちが情け

 今また我を助けしは 義経が情け
 
 仇に思うな これ知盛!」

と 安徳帝が申します。

これ・・・平家側にとりましては なんと辛い言葉、
ある意味 ひどい言葉なのでしょうか・・・


正直ここに 先ほど書きました 安徳帝の出自の部分は加味されてないのか、
あえて 子供の言葉にぼやかしたのか(そうしないと 安徳帝は生き残れません)
複雑な部分はございますが・・・・

この言葉 知盛や典侍の局には どう響いたでしょうか。
知盛にとっては 安徳帝は甥。


これにより、典侍の局は自害を決意し 知盛も敗北を喫したことを悟ります。



そして歴史では6歳で命を落とした安徳帝は 歌舞伎の世界では
義経が陰ながら守る事になり ここにお芝居上 永遠の命を得るのです。

歌舞伎の、なんとも意気な計らいでは ありませんか。

今日の写真はその 武田タケルくんの安徳帝。
『渡海屋』のその身を隠してお安としての安徳帝。

イメージ 1


そして『舟矢倉』『大物浦』の天皇としての安徳帝。

イメージ 2


染五郎さんの知盛 猿之助さんの典侍の局を凌ぐ 
武田タケルくんの好演を ぜひ その目でご覧ください(笑) 
 
私も舞台上にて 皆様のお越しを 心よりお待ち申し上げております。