先日、ここで掲載させて頂いた私を含めた『渡海屋』の
船頭4人の写真。


私は『渡海屋』の場面 3度登場いたします。
その3度目に登場した時には、今までの船頭に化けた 兵士ではなく、
知盛同様 6人の平家の兵士が 松明を掲げ白い装束を着ております。

写真がこれです。

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青白い顔に、白い経帷子(きょうかたびら)旅支度の手甲脚絆(てっこうきゃはん)
額には三角の布、みな様も時代劇かどこかで、一度はご覧になった事が
ありませんか?(笑)


お芝居に登場するお化けもこんな感じですね。



話は変わりますが、現代の埋葬の仕方は火葬が中心ですね。
ですが江戸時代は土葬が中心で、このような姿で丸い棺桶に
入れられ土に埋められておりました。

この姿は、死出の旅への旅立と云う事で、旅姿なのです。

そして本来の土葬は、これに頭陀袋に六文銭を入れて、
首からぶら下げております。これは三途の川を渡る際の渡し賃です。



余談ですが、テレビで人気の真田幸村の紋所が六文銭。

歌舞伎では『鎌倉三代記』などに登場する真田幸村をモデルにした、
佐々木高綱が、この六文銭の衣裳などを着ております。

これは合戦の折に、いつでも死ぬ覚悟があるぞと云う意味で
六文あれば三途の川を渡れると云う事の 決意の表れですね。


お話がまたそれました。(笑)

額に付けている三角の布は 地方によっては額烏帽子(ひたいえぼし)とか 
髪隠し頭巾とか呼び名がございますが、本来は天冠(てんかん)と云うそうで 
閻魔大王に会った際 無礼のないように、との冠なのだそうです。

額に書いてあるカタカナのシと云う文字は 
裏返しに書かれてございます。

つまり死 ですが、もうこの世ではないあの世の死!
と云う事で この世の文字でない字が書かれてあるのです。


『渡海屋』のお芝居では、平知盛は死に装束ではなく 亡霊としての
白い出で立ちだと 先のブログで書かせて頂きました。

知盛と共に連れ行く私たちも 平家の兵士たちですが、
我々も 知盛の怨霊に纏わる死霊として行動を共にします。

そして花道を入る際の松明は、人魂を現しております。

壇ノ浦で死んだはずの知盛の怨霊が 義経たちに襲い掛かるぞ!
との決意でしたが・・・。

知盛は別として ま、我々がこの姿で義経一行に襲い掛かっても 
結果は見えておりますね。

その結果は皆様 ご存知の如くです。(笑)

亡霊 死霊として戦う と云ったところの発想が歌舞伎らしいので、
この際この姿形が、戦いとしてそぐわない と云うような 
野暮な事はおっしゃらないように・・・。(笑)
 

私は このお役ももちろん初めてです。

決死の覚悟をあらわすとともに この物語を通じて流れております
いわゆる「桜の散る美学」

美学と云っていいのかはわかりませんが、そういったものを一瞬でも出せたらいいなと
思っております。