私事ですが、昨日今日とコメント欄におきまして 
私の、本日の誕生日のお祝いのお言葉を たくさん頂戴致しました。

ありがとうございました。本当に恐縮致します。○○歳になりました。
ただ、長く生きているだけかな? なあんて思ったりも致します(笑)

次の一年は どんな舞台や どんな方々にお会いできるでしょうか。
また楽しみです。


さて今日は初日通りの舞台稽古。『渡海屋 大物浦』は一番最初です。
渡海屋銀平 実は新中納言、平知盛。染五郎さん 
女房お柳 実は典侍の局、猿之助さん 他
客席の幸四郎さんの監修のもと、出演者全員 緊張をもって行われました。

私も初役の船頭、筆頭ですから やはりかなり緊張しました。
でも私の緊張と他の人の緊張は 度合いが違いますね(笑)


その中でお安事 安徳帝の武田タケルくん 堂々たる演技で見惚れました(笑)
右近さんもさぞ、ホッとされてる事でしょう!
これは初日の幕が開いてから かなり評判となる事でしょうね!



かって私が安徳帝のお芝居を見て 子供ながら感心した人が居りました。
この子 天才か? 大人顔負けのお芝居をする! たいしたもんだ!と

昨日書きました、1980年(昭和55年)7月 猿翁旦那の『義経千本桜』
3役初演の時の安徳帝 弱冠5歳。
あれ?お誕生日前ですので4歳でしょうか。 


演じますは喜熨斗孝彦!

初御目見得での初舞台!

そう!

現在の猿之助さんです。


その猿之助さんが今回は典侍の局に回られ、安徳帝を支えて居られるのは、
歌舞伎ならではの歴史です。

1980年時のお柳実は典侍の局は先代中村雀右衛門さん 
『渡海屋 大物浦』の義経は17世市村羽左衛門さん。

そして、この時の義経の四天王の一人 駿河次郎が右近さんでした。 


新旧とは云え、同じ歌舞伎座での『義経千本桜』の歴史を
垣間見られますのは私を含めて 何人の人だろう?と
今日の舞台稽古を見ながら 思わず考えてしまいました。(笑) 



余談ながら、この時の『渡海屋』の船頭の筆頭が先代猿三郎さん
私の父 冠十郎も6番目で出演しておりました。
 

そして序幕の大内の場での、振袖の腰元弥生を 猿翁旦那の大抜擢で
私、猿三郎が 勤めさせて頂きました。 

この当時、私はまだ20代。
まだ本名での出演でございましたのに 本当に本当に信じられないような大役を
勤めさせて頂きました。

その少し前の 通し狂言で上演されました時には、今の福助さん(当時児太郎さん)が
勤められたようなお役なのです。

そのような大きなお役を まだ 澤瀉屋の一門ですらない、それも本名の
私にあてて下さったのは、本当に今となっての方が 驚きます。

その当時は、頂いたお役を必死に勤めさせて頂いておりました。



今回、この大内の場面はございませんが、それぞれの歌舞伎の歴史、
これもまた懐かしい思い出です。